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イーサル川
イーサルがわ
作品ID53509
著者斎藤 茂吉
文字遣い新字旧仮名
底本 「斎藤茂吉選集 第九巻 随筆」 岩波書店
1981(昭和56)2月27日
初出「改造」1929(昭和4)年10月
入力者しだひろし
校正者門田裕志
公開 / 更新2012-05-13 / 2014-09-16
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 イーサル川は南の方のアルプス山中から出て、北へ向つて流れてゐる。分水嶺は既に独逸の国境を越して墺太利の領分になつてゐるので、さう手易く其処を極めることは出来ないやうである。
 川の沿岸には、T[#挿絵]lz, M[#挿絵]nchen, Landshut, Landau などの町があり、ミユンヘンはそのうちで一番大きい。川は道を稍東の方に取つて、Deggendorf の近くに来てドナウに這入る。T[#挿絵]lz からもつと水上に Lenggries といふ一小邑があり、眺のいい城がある。Hohenburg の城といふのはそれである。
 ドナウの流れは『藍のドーナウ』と謂ふが、ここは、『緑のイーサル』である。“Solang die gr[#挿絵]ne Isar, durch's m[#挿絵]nch'ner Stadt'el geht.”といふ古い歌謡は、ミユンヘンの市民が麦酒に酔うてよくうたふのであつた。
 私は西暦一九二三年の夏にこの土地に来、翌年の夏までゐたので、屡この川に親しみ、心に憤怒があり、心に違和があるときには、いつも私はひとりこの川べりに来て時を消すことをしてゐた。
 ここに来て間もなく日本大地震の報に接し、前途が暗澹としてゐた時にも私はよくこの川原に来た。まだ気候が暑いので、若者に童子を交へて泳ぎ、寒くなると砂原に焚火をしてあたつて居る。そこから少し離れたところに少女の一組が泳ぎ、中にはもう体の定まつたのも居り、稍恥を帯びた形をして水から上がつて来たりして居る。川は概して急流であるが、流が緩慢のところがあり、さういふところを尋ねて彼等は泳いで居る。ここの川にも矢張り支流があつて、流れ込む有様が見えてゐる。流の岸は人造石の堤防で堅めてゐるので、水は割合に激せずに流れるのであるが、それでもその堤防の損じた処がところどころにある。恐らく春の雪解の季節に洪水のする為業であるだらう。長い木の橋が掛かつてゐたりして、そこを大勢の人が往来してゐる。日曜の散策であるがここの住民は、維也納などに比して都雅でなく、山国の趣が抜けないやうに見える。
 ある日、友人の家で日本飯を焚いてもらひ、それに生卵をかけ大根に塩を附けながら食つた。満腹してここの川原に来るといい気持である。川原には砂原の上に川柳の一めんに生えたところがある。豌豆のやうな花の咲いた細かい草などもある。向うの土手のところに山羊の一群が居り、少女ひとりが鵞鳥の一群を遊ばせてゐたりする。生れ故郷の日本のやうに、蝉のこゑも聞こえず、きりぎりすのやうな夏の昆虫も聞こえない。かういふ静かな川原の柳の木蔭に、潜むやうにして私がゐると、『ヒネエゼ!』かう突然こゑがして、ひとりの童子が向うの柳のかげに隠れたりする。
 また、或る夏の暑い日曜にここの川原を歩くと童幼が砂をいぢつて遊んでゐる。一人の小さい男の子が急がしさ…

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