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ヴエスヴイオ山
ヴェスヴィオさん
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「斎藤茂吉選集 第九巻 随筆」 岩波書店
1981(昭和56)2月27日
初出「思想」1929(昭和4)年5月
入力者しだひろし
校正者門田裕志
公開 / 更新2012-05-13 / 2014-09-16
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 ポンペイの街をやうやく見物してしまつて、午過ぎて入口のところの食店で赤葡萄酒を飲み、南伊太利むきの料理を食べて疲れた身心を休めてゐる。それから、此処で発掘した小さい瓶子などを並べて売るのをのぞくが、値が相当に高いので買ふ気にならない。
 そこに、数人の導者が来て、ヴエスヴイオ登山をすすめて止まない。此処から登山するとせば、驢馬に乗つて行く、その方が登山鉄道で行くよりも賃銭も安く、遙々観光に来た旅人にとり興味あることであり、一つ一つの経験を印象するにはこれに越したことはないといふのである。
 向うには、ヴエスヴイオの山は半腹に白雲が動いて居り、頂が晴れて噴煙が立ちのぼつて居る。陰霽常なきこの山としては幸運な天気と謂つていい。それに、登山軌道の出来ない前には、旅人は皆、馬車に乗り、驢馬に乗り、山の頂近くなると徒歩し、難渋して登山したものである。ある記事には、闇黒に松明の火を振り振り、導者らが、原始的な民謡を歌ひはじめることなどが書いてある。ある記事には、隠者の窟に年老いた隠者が繩の帯をしめて、旅客に食を饗し、酒を飲ませるところなどが書いてある。ゲーテなども、確か驢馬に乗つて葡萄圃の間あたりを縫ひながら、それから苔の生えた熔巌の上などを難渋して歩いたのであつただらうか。
 即興詩人には、『熔巌は月あかりにて見るべきものぞとて、我等は暮に至りてヱズヰオに登りぬ。レジナにて驢を雇ひ、葡萄圃、貧しげなる農家など見つつ騎り行くに、漸くにして草木の勢衰へ、はては片端になりたる小灌木、半ば枯れたる草の茎もあらずなりぬ。夜はいと明けれど、強く寒き風は忽ち起りぬ。将に没せんとする日は熾なる火の如く、天をば黄金色ならしめ、海をば藍碧色ならしめ、海の上なる群れる島嶼をば淡青なる雲にまがはせたり。真に是れ一の夢幻界なり。湾に沿へる拿破里の市は次第に暮色微茫の中に没せり。眸を放ちて遠く望めば、雪を戴けるアルピイの山脈氷もて削り成せるが如し』かういふいい文章がある。
 僕は暫く心が動き、かういふ名文章が胸中を往来し、暫くは驢馬の背上の人物として僕自身を空想するのであつたが、僕はおもひ直して、驢馬でポンペイからする登山を断念した。何向き僕は一人旅をして居るものである。単に詩的な気持から、軽率な冒険をしてはならぬと思つたのであつた。
 ポンペイから汽車に乗り、汽車に乗込んでゐるトマス・クツク会社の男からヴエスヴイオ登山軌道の切符を買つた。即ち驢馬で行くことを断念してレジナ駅から登山車に乗らうといふのである。
 レジナから乗込んだ外国の遊覧客は幾組かゐた。伊太利観光の季節からはづれてゐるのであるが、やはり僕のやうな旅人もゐないことはない。
 だんだん高くのぼるに従つて、眼界が広くなり、一望のうちに展開せられるナポリ湾をも引くるめた風光には、藍色の海水があり、堅固な色彩の村邑の家があり、寺院があ…

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