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洋灯はくらいか明るいか
らんぷはくらいかあかるいか
作品ID53514
著者室生 犀星
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆73 火」 作品社
1988(昭和63)年11月25日
入力者門田裕志
校正者川山隆
公開 / 更新2013-01-24 / 2014-09-16
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 新橋駅に降りた私はちいさな風呂敷包と、一本のさくらの洋杖を持つたきりであつた。風呂敷包のなかには書きためた詩と、あたらしい原稿紙の幾帖かがあるきり、外に荷物なぞはなく、ぶらりと歩廊に出たときに眼にはいつたものは、煤と埃でよごれた煉瓦の色だつた。そのため構内はうすぐらく、東京に着いた明るい感じなぞはしなかつた。そのころ東海道は新橋が行きとまりになり、新橋が東京の大玄関だつた。美術学校の二年生である田辺孝次と幸崎伊次郎、それに吉田三郎が迎えに出ていた。田辺孝次はすこし帽子を前伏せにかむり、犀星とうとう出て来たなと云つた。幸崎伊次郎は鷹揚に笑つて犀星は大いにやりに来たんだね、なにか外の者にたいして弁護するような語調だつた。美少年の吉田三郎は新しい薩摩絣の単衣に袴をはいて、犀星はまた荒し廻つて歩くだろうと云つた。そして美という徽章のついた学帽をかむつた彼等が私よりどこか大人めいていることと、その大人めいているものに対抗できない泥くささを私は自分に感じた。彼等はあかるい電車に私を乗せてくれ、電車というものにはじめて乗つた私は、派手な女の人の服装をはじめて見て、まばゆい感じであつた。田辺孝次は大きな声で犀星此処は銀座だと、せまい大通りの人ばかり沢山歩いている歩道を教えた。その声が大きいので今ついたばかりの東京という都会にたいして、また乗客の手前、私は顔をあからめた。彼はここが須田町、ここが上野というふうに云い、私は分つている分つていると低い声でこたえた。私が低い声をすれば田辺孝次も低い声になるかと思うと、彼は反対に大声になり私はひやひやした。
 私は電車と電車とがすれちがう時、眼をつぶつた。そして電車というものがその時代の文明をいかによく代表的にあらわしていたかに、私は驚いた。舶来的な、ひとりで走るような車体はどれもあたらしく、自動車がすくなかつたから大抵の人は電車に乗り、車内はいまの映画館の坐席のように美しい人が乗り合い、そういう客間のお茶の会のような光景が、そのまま街のなかを走つて行つた。往復五銭であつた。私はできるだけこれから電車に乗つてやろう、そういうふうに私は東京についた第一日の印象に、電車というものを好いた。
 その晩、田辺と幸崎とで浅草公園に行き、六区の映画館街につれこまれた。私はわりあいに驚かなかつた。こんなところはきつと一処くらいあるだろうと思い、却つて金魚を釣る店が何軒もならんでいて、そこに一杯の人だかりしているのが変に永く頭にのこつた。人と人との頭のあいだから見た金魚のあいた口から、その口の二倍くらいある泡が吹かれているのがあわれであつた。どちらにも肩をうごかすことの出来ない通りで、田辺はどうだ犀星驚いたかと恰もこの群衆が田辺の所持品ででもあるように、大きな眼をひらいて彼は云つた。そんなに驚いてはいないよと、もう午前十時から八時間東京にいるあいだ…

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