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とかげ
とかげ
作品ID53536
著者室生 犀星
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆18 夏」 作品社
1984(昭和59)年4月25日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2014-08-21 / 2014-09-16
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 わたしの今住んでいるところは、川原につづいた貸家で庭には樹も草もない。眩しい日かげに打たれた砂利ばかりである。だから滅多に庭へは出ない。ただよくとかげが這うている。飴色の肌をしているのと、虹のような色をしているのとが、まぶしい日光の中を這い出しながら、低い蚊や蠅の飛ぶのを見ている。――暑い日には少しばかりの雑草のかげから、三角形の口を少し上向きにして、凝然として何かを狙っている。が、別に蚊も蠅も飛んでいるわけではない。かれは唯待ち伏せをしているだけである。ちょっとした物音にも直ぐ頭を曲げて物音のする方へ向ける。……眼も一しょに動く。あぶらのように柔らかいからだが砂利の間にたらりと零れると、すぐ這い出して行くのである。そしては又立ち停って眩しい夏の日光の中にうずくまっている。
 わたしは始め二三疋くらいだろうと思っていたが、ところどころの石垣の間から出るのを交ぜると十疋くらいは居ると思った。かれらは二疋ずつ追いかけ合ったりして、庭先きの森閑とした昼過ぎに、寂しい忌み嫌いされるその姿を現わした。わたしは五六寸もあるかれらの奇体な原始的な姿を庭の内に見出すことが、何となく可愛らしく思われた。手と足で砂利の上を這うている頓馬で其の癖素早い姿が、木彫か何かの古くさいもののように珍らしかったからである。
 明るい日光というものは、また夏の午後過ぎというものは余りに明るすぎて、しんとして物寂しいものである。深夜などと違った物静かさで、かげなども極く短い真昼には、心をしずめていると何か啜り泣きをしているように思われるくらいだ。人間はそんなときに睡たくなるものだ。人間が睡たくなるというのは、よくよく考えると日光が真上に赫いて樹のかげが縮まっているような姿に似ている。――そんなときに、わたしはまた明るい暑い庭さきに立って何か考えている。そして眼の前にはとかげが三四疋這うていて、あぶらのように美しい肌を白い砂利の間に跼ませている。何の音もない!
「とかげの尾を切っておやりなさい。ぴくぴく動くやつを切っておやりなさい。」
 そうわたしの頭脳の中で、ひと声がした。見れば尖端ほど細まり鋭くなったとかげの尾が、礫を一とまわりして、寂しく空を向いてはねている。――ふむ、こいつを一つ切ってやろう。わたしの心は瞬時にして悲壮な画面を描くために、やや睡気ざましをそぞろに感じた。わたしは竹切れをさがした。その尖端をナイフで掠め、ナイフと同じいくらいの鋭い刃拵えをした。指頭にさわると西洋剃刀くらいの刃あたりが麗朗として感じられた。――わたしはこれでいいと呟いた。これなればあいつの尾くらい切れるだろうと思った。早くおやり、誰かがそう言う。振りかえると庭のすみの方に下婢が黙って張物している。うしろ向きになって絹裏を板の上で湿らせ、指さきで練っている。日かげで下婢の顔が赤く恐ろしくなって見える。……
「…

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