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芸術と社会
げいじゅつとしゃかい
作品ID53729
著者津田 左右吉 / 津田 黄昏
文字遣い新字新仮名
底本 「津田左右吉歴史論集」 岩波文庫、岩波書店
2006(平成18)年8月17日
初出「みづゑ 一〇四」1913(大正2)年10月
入力者坂本真一
校正者門田裕志
公開 / 更新2012-01-12 / 2014-09-16
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 芸術のための芸術と一口にいってしまえば、社会との関係などは初から論にならないかも知れぬ。けれども芸術を人生の表現だとすれば、そうして、人が到底社会的動物であるとすれば、少くとも芸術の内部におのずから社会の反映が現われることは争われまい。芸術の時代的、または国民的特色というのも畢竟ここから生ずるのである。まして、芸術の行われる行われない、発達する発達しないというような点となると一般社会の風俗や思潮やに支配せられないはずはない。
 日本のような、何時でも外国の文化を学んでいる国民では新来の芸術が国民と同化するまでには相応な時間がかかる。そうして、その同化しない間は、芸術品は単に芸術品として製作せられ、享受せられるのみで、国民の日常生活から遊離している。従って、作家も享受者も、その人の全体としての心的生活、全体としての気分を以て之に対するよりも、智識の力、頭脳の力でそれを取り扱うという傾がある。例えばピヤノを弾く人も聴く人も、あるいは上野あたりの楽堂で管絃楽を奏する楽家も満堂の聴衆も、胸に漲る情の波が指頭に迸って絃に触れるのでもなければ、空に漂う楽のねに心上の琴線が共鳴するのでもない。欧洲人の思想や感情の行き方を領解しているものが、頭の上で、その興味を領解するのか、さもなくば、純粋に技巧として之に対するのである。要するに西洋楽は西洋楽であって、まだ日本の楽にはなっていない。音楽は世界共通だとはいうものの感情の動き方にもその表現法にも国民的特性があるから、欧洲楽が我々の情生活にピタリと合わないのは当然である。しかし、一方からいうと、我々の情生活そのものが、欧洲の文芸や学術の影響を受けまた欧洲と同じような社会状態が生ずるために、随分激しく変化してゆくから、この間の溝渠は段々狭くなるには違いない。
 Ruskin であったか、智識ある社会になればなるほど国民的特性が失われてゆくというようなことをいっていたと記憶するが、今の我が国ではその傾向が時に著しい。けれども情生活の方で国民的特色がまるでなくなることは決してない。だから外来の芸術でも智識で領解する部分の多いものはその興味を解することも容易である。翻訳劇の盛行するのは一つはこの故であろう。絵画になると、西洋画でもその題材が多くは何人も目で見ることのできるものであり、景色画にしても風俗画にしても初から日本の特色を現わすことの出来るものであるから、技巧と材料とが在来のいわゆる日本画と違ってはいるものの、それを看て欧洲楽を聴くほどに疎遠な感じはしない。自然に対する見方がまるで違っているとか、光線や空気の取り扱い方が思いもかけぬものであるとかいう点になると、例えば Monet の作がはじめて世に現われた時驚きの目と嘲笑の声とを以って時のフランス人に迎えられたほど、西洋画が日本人に不思議がられなかったかも知れない。絵画はそれだ…

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