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陳言套語
ちんげんとうご
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「津田左右吉歴史論集」 岩波書店
2006(平成18)年8月17日
初出「人間 二ノ四」1920(大正9)年4月
入力者門田裕志
校正者フクポー
公開 / 更新2017-09-25 / 2017-08-25
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 僕のような融通のきかない学究がこういう雑誌に書くということは、甚だ不似合な仕わざであろうと思う。老の繰言の如き、生彩のない、調子の弱い、従って読者に何の印象をも与えない、贅言をくどくどと列べ立てるのが癖だからである。しかし、是非にということであるから、悪文の見本のつもりで書くことにする。ことわるまでもないことであるが、奇抜な考をいうのでも新しい説を述べるのでもない。平凡の、ありふれた、当りまえの、ことをいうのである。つまり、いわないでもわかっていることをいうに過ぎないのである。
 もう、とっくに、そんなところを通り越している時代だと思うが、それでも今なお世間の一隅には、我が国固有の風俗とか固有の国民的精神または国民性とかいうことを高唱しているものがある。風俗とか国民的精神とか国民性とかいうものが、昔から今まで動かないで固まっていたものででもあるかのように聞こえる。が、そんな考が事実に背いていることはいうまでもなかろう。
 例えば、我が国は家族主義の国であるという。家族主義ということばの意味は甚だ曖昧であるが、世間でいうところを聞くと、徳川時代に行われていたような家族生活の状態を指すのらしい。それならば、それは鎌倉室町時代から徐々に発達し、徳川時代になって出来上がったものであって、決して昔からの有様ではない。上古は勿論のこと、平安朝の貴族どもにおいても、その家族生活は全然いわゆる家族主義とは違ったものであった。また今日の家族生活が徳川時代のに比べて変って来ていることは、明白な眼前の事実である。こういうように、家族生活の状態は歴史的に変遷して来ている。決して固定していたものではない。何らかの形においての家族生活は昔も今もあるが、それは世界の大抵の民族がやはり何らかの形において家族生活をしていると同じほどのことである。
 我が国の大なる誇とせられていることについても同様である。その形体は同じでも、その内容をなすところの実際の国民の感情は時代時代において変って来ている。知識としてのその解釈もいろいろであって、古いところですら『古事記』などに説いてあることと、支那の政治思想が入って来てからのとは、全く違っている。今日の我々の生きた感情が『古事記』や支那思想に支配せられていないことは、明白な自己心中の事実である。ただその感情も知識も変化しながら、この形体との調和が失われずに来たのである。そうしてそれはこの形体自身において時勢の推移に順応し得べき特質を具え、また実際、時と共に推し移って来たからである。
 この変遷は決して無意味なものではない。人間は、個人としても国民または民族としても、その生活を維持し開展してゆくために、いいかえると、断えず起って来る環境の変化に順応し、またそれを支配しそれを新しい方向に導いてゆくために、断えず生活そのものを改造してゆく。それが即ち歴史の…

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