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東洋文化、東洋思想、東洋史
とうようぶんか、とうようしそう、とうようし
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「津田左右吉歴史論集」 岩波書店
2006(平成18)年8月17日
初出「歴史教育 六ノ八」歴史教育研究会、1931(昭和6)年11月
入力者門田裕志
校正者フクポー
公開 / 更新2017-07-22 / 2017-07-17
長さの目安約 20 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 東洋文化とか東洋思想とかいう語が西洋文化または西洋思想と対立する意味において一部の人士に用いられるのは、かなり久しい前からのことであって、日本人の文化、日本人の思想がやはりその東洋のであり、従ってそれが西洋のに対立するものの如く説かれるのである。これには国際関係における西洋の国々の勢力に対抗する意味での東洋主義とか亜細亜主義とかいうものとも或る程度の関聯があるように見うけられるが、その根本は日本人の文化を現代の西洋の文化に対立させ、現代の日本人の生活における西洋文化の要素を外来のものとし、そうして東洋のをその固有のものとする考えかたから出ているらしいので、いわゆる思想問題の喧しい近ごろになって特にこういう語を声高く叫ぼうとするもののあるのも、之がためであろう。が、一体、東洋文化とか東洋思想とかいうのは何を指すのであるか。あるいは寧ろ、そういうものが存在するのであるか。
 世界の文化を東洋のと西洋のとに大別することは、現代の日本人には常識となっているようであり、世界の歴史を東洋史と西洋史との二つに分けることも、今日では一般の習慣となっているが、西洋についてはともかくも、東洋については、この語の意義すらも甚だ漠然たるものである。東洋と西洋とは、本来、地理的の称呼であり、後世の支那人が海路で南方から交通する地方をその位置によって区別し、概していうとほぼ今の太平洋に属する方面のを東洋、それよりさきの印度洋方面のを西洋としたことにはじまる。ヨオロッパ人が印度洋を経て支那に来るようになってからは、その本国もまた西洋と呼ばれることになったが、これは上代において西北方からの陸路によって交通する地方が西域といわれ、その方面は支那人の知識の及ぶ限りこの称呼のうちに包含せられたと似ている。(西域は支那に接壌する西方の地であるが、西洋は東洋を通過していったそのさきであるから、この点は違う。)東洋は後までも狭い範囲に限られていたが、これはその東洋の東方から支那と交通する国がなかったからであり、ただ近いころになって方角違いの日本が東洋と呼ばれることがあるのみである。西洋は勿論、東洋も支那からいうと諸蕃の地であるから、支那みずからが東洋とせられなかったことは勿論である。ところが、日本では、徳川時代の中ごろからヨオロッパに関する知識が漸次加わって来たにつれて、西洋という名が主としてこの極西の地にある諸国にあてられることになり、従ってまたそれが文化的意義を帯びて来た。いわゆる西洋には特殊の文化があると考えられていたからである。が、こういう称呼が用い慣らされると、それに対して東方の文化圏を呼ぶ名称も欲しくなって来たらしく、そこで東洋という語に新しい意義を附してそれを採用し、支那を中心としてその文化を受入れている地方の総称として、この名をあてようとする企が起ったように推測せられる。佐久間象山の…

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