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日本上代史の研究に関する二、三の傾向について
にほんじょうだいしのけんきゅうにかんするに、さんのけいこうについて
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「津田左右吉歴史論集」 岩波書店
2006(平成18)年8月17日
初出「思想 一一〇」1931(昭和6)年7月
入力者門田裕志
校正者フクポー
公開 / 更新2017-09-25 / 2017-08-25
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 近ごろ、いろいろな意味で世間の注意が国史の上に向けられ、上代史についても種々の方面において種々の考察が行われている。種々の立場からの種々の見解が提出せられることは、全体として学問の進歩を助けるものであるのみならず、ともすれば凝滞の弊に陥り易い学界を刺戟し、あるいはそれに新問題を与え、新しい観点からの研究を誘発する意味においても、喜ぶべきである。そうしてまた実際、それらの考察には傾聴すべきものが少なくない。しかし一方からいうと、そういう見解のうちには、往々、確かな方法と論理とを欠いている思いつきや感じから成立つもの、或る一面のみを見てそれによって全体を解釈せんとするもの、または特殊の主張なり学説なりを強いて我が国の上代にあてはめようとするものなど、学問的の研究としてはかなりに不用意なものがあるのではなかろうか。思いつきや感じも学問の研究に大切であり、自己の目に映ずる一面のみに過大の価値を置くのも、免れ難き人情の常ではあるが、学者の用意としては、方法論的省察と、論理的の整理と、並に視野の広いまた多方面からの観察とが、要求せられるであろう。特殊の主張を以て臨むものに至っては、そういう主張が如何にして作り上げられたかを先ず検討してかからねばならぬのではあるまいか。ここに述べようとすることは、二、三のこういう見解に対する余の感想である。というよりも、学界の風潮に対する余の観察とでもいった方が妥当である。余は本来、他人の学説を批評するを好まず、学問上の論争すらも寧ろ避けているので、これもまた或る学者の或る学説に対する批評というのではなく、学者に対する論難では猶さらない。
 第一に気がつくのは、歴史的変化を軽視することであって、民俗学の方面からの上代研究には、ややもすればこの傾向があるのではないかと思う。民俗学の目的や方法について我が国の民俗学者に如何なる主張があるのか、余はそれを詳かにしないが、少くともその主として取扱う材料が現存する民間伝承や民俗であることは、推測し得られよう。古来の文献に現われている、即ち過去において知られていた、そういうものも、また同じくこの学の材料であるには違ないが、文献の常としてこの種の記載が乏しく、従ってそれに多くを望み得ないのである。ところで、現存の民俗や民間伝承から何が知り得られるかというに、既に民俗であり民間伝承である以上、それは過去から継承せられたものであることに疑いはないから、それによって過去の民族生活を考察することができるはずである。けれども、その知り得られる過去がどの程度のであるか、それが問題である。過去から継承せられたということは、過去と全く同一であるということではなく、人間生活の本質として、それには変化が伴っていることを許さねばならないのであるから、時間が隔たるに従ってその変化も多いはずであり、従って現存の民俗などから直に…

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