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歴史の学に於ける「人」の回復
れきしのがくにおける「ひと」のかいふく
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「津田左右吉歴史論集」 岩波文庫、岩波書店
2006(平成18)年8月17日
初出「心 五ノ三、四、五」1952(昭和27)年3月、4月、5月
入力者門田裕志
校正者フクポー
公開 / 更新2017-10-03 / 2017-10-10
長さの目安約 46 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

一 歴史とは何か

 世界の文化民族の多くは、その文化が或る程度に発達して文字が用いられて来ると、今日常識的に歴史的記録といわれるようなものを何らかの形において作り、そうしてそれを後世に伝えた。そういうものの由来、特にその前の段階としてのいい伝えのこととか、民族によるその特殊性とか、またはそれらがどれだけ事実を伝えているかとか、いうようなことは、別の問題として、今はただそれらが主として人のしたこと人の行動を記したものであること、従ってまたその記述がほぼ時間的進行の形をとったもの、いいかえると何ほどか年代記的性質を帯びているものであること、を回想したい。自然界の異変などが記されていても、それは人がそれに対して何ごとかをし、またそれが人の行動に何らかのはたらきをするからのことであり、個人の行動ではなくして一般的な社会状態などが語られている場合があるにしても、それはもとより人がその状態を作り、またその状態の下において行動するからのことである。上代の歴史的記録がかかるものであることは、人がその民族の生活において、何ごとを重要視し、何ごとを知ろうとし、何ごとを後に伝えようとしたか、を示すものであって、それは歴史の本質にかかわることなのである。勿論、今日の歴史学にとっては、そういうものはただ何らかの意味での史料となるに過ぎないものであるが、歴史学の本質はやはり同じところにある。歴史上の現象はどんなことでもすべてが人のしたこと人の行動だからである。
 歴史は人の行動によって形づくられるものである。外面に現われた行動はいうまでもなく、心の動きとても、人の心の動きであるので、それを広義の行動の語に含ませることができよう。ところが人は具体的には個人である。民族の動き社会の動きといっても、現実に行動し思惟し意欲するものは、どこまでも個人である。或る民族の生活様式、風俗、習慣、道徳、宗教的信仰、または一般的な気風というようなもの、その他、その民族において何人にも共通のことがらはいろいろあるが、現実に喜怒哀楽するものは個人である。社会組織とか政治上の制度とか経済機構とかがあって、それが個人といろいろの関係をもっているけれども、現実に行動するものは個人の外にはない。さまざまの集団的な活動がせられ、またいつのまにか行われてゆく社会の動きとか世情の変化とかいうことがあっても、現実には個人の行動があるのみである。集団は単なる個人の集りではなくして、集団としての特殊のはたらきをするものであり、社会の動きもまた単に個人の行動の集められたものではなくして、それとは性質の違った、社会としての、はたらきによる、と考えられる。けれどもそのはたらきは、多くの個人の間に相互にまた幾様にも幾重にもつながれている錯雑した関係において、断えず行われるいろいろのことがらについての、またさまざまの形での、作用と反作用…

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