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母の手毬歌
ははのてまりうた
作品ID53813
著者柳田 国男
文字遣い新字新仮名
底本 「こども風土記・母の手毬歌」 岩波文庫、岩波書店
1976(昭和51)年12月16日
初出母の手毬歌「週刊小国民 第四巻一号」1945(昭和20)年1月、親棄山「少女の友 三八巻二〜三号」1945(昭和20)年1月、2月
入力者Nana ohbe
校正者川山隆
公開 / 更新2013-06-29 / 2014-09-16
長さの目安約 199 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

[#ページの左右中央]


この書を外国に在る人々に呈す


[#改ページ]


母の手毬歌



一、正月の遊び

 皆さんは村に入って、うちに静かに暮らしているような時間は無くなったけれども、その代りには今までまるで知らずにいた色々の珍らしいことを、見たり聞いたりする場合は多くなってきた。村には前々からの生活ぶりをよく覚えていて、親切に話をしてくれる人があるものである。そういう話の中には、いつまでも役に立ち、また、永く楽しみになるものが多い。注意して聴いてかえり、年をとった人々、また弟や妹たちにも御土産にしなければならない。その一つのお手本として、わたしがもう六十何年ものあいだ、忘れずにいたことを一つ書いて見よう。
 このごろの田舎のお正月は、もうどういうふうに変っているか知らぬが、十年前までは女の子の初春のあそびには、羽根羽子板と手毬とがあった。この二つは、自分の手とからだとが思うように動くことを知る、初めての機会であるゆえに、たいていの子どもには嬉しくて止められず、大きくなってからも正月が来るたびに、いつも思い出すたのしい遊びであった。ゴム毬のゴムがなくなってしまった淋しさ、それを南洋の人々から、わざわざ送りとどけてもらったよろこびなどは、今でも忘れずにいる人がきっと多いことと思う。ところでその、ゴムというものの日本にあらわれたのは、明治の世の中もやや後になってからのことで、田舎ではみなさんのおかあさまぐらいの人までが、小さいころにはまだお正月に、木綿糸を巻いてこしらえた手毬を突いていたのである。白い木綿糸を、まんまるに巻きあげ、その上をカガルといって、紅、青、黄、紫のあざやかな色の糸で、花や菱形のうつくしい形に飾ったので、そのうつくしさを女の児が愛していたために、ゴム毬になってからのちも、なおしばらくのあいだは、そのゴム毬の上をもとの糸かがりの通りに、いろどって塗ったものが流行していた。木綿糸の手毬も作って店で売っていたけれども、そういうのは中味が綿ばかりで、糸は少ししか巻いてないので、つぶれやすくもあり、またちっとも弾まなかった。女の児たちが自分で作った手毬は、できるかぎり巻きつける木綿糸を多くし、その芯にはごく少しの綿をまるくして入れ、またよくはずむようにといって、竜の髭のみどり色の実をつつんだり、蜆貝に小さな石などをつつみ入れて、かすかな音のするのを喜んだりしていた。手毬に巻く木綿糸などは、もちろん長いものを使うのではなかった。そのころはまだ、家々で木綿機を織っていたので、その織糸の端の方の、もうどうしても布に織れない部分、ふつうにキリシネともハタシの糸ともいって、三、四寸は切ってのけるものをもらい集めて、それを一本ずつ丹念につないだものであった。一つの毬を巻きあげるにも、なかなか時間がかかった。母や祖母はその子のよろこぶ顔が見たさに、よその…

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