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青い紐
あおいひも
作品ID53859
著者田中 貢太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「日本怪談大全 第二巻 幽霊の館」 国書刊行会
1995(平成7)年8月2日
入力者川山隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2012-06-11 / 2014-09-16
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 桃山哲郎は銀座尾張町の角になったカフェーでウイスキーを飲んでいた。彼は有楽町の汽車の線路に沿うたちょっとしたカフェーでやった仲間の会合でたりなかった酔を充たしているところであった。
 もう客足が斑になってそこには前のすぐストーブの傍のテーブルに、一組三人の客がいるばかりであたりがひっそりして、その店に特有な華やかな空気がなくなっていた。哲郎はその静かな何者にもさまたげられない環境に心をのびのびとさして、夢のような心持で宵に聞いた女の話を浮べていた。
 それは放胆な露骨な話であった。旧派俳人の子で文学志望者の壮い男のした話は、某婦人が奇怪な牛乳を用いたために妊娠したと云う話であった。その晩入会した美術家の一人が入会の挨拶にかえてした話は、その春歿くなったという仲間の美術家の話であった。その仲間と云うのは、洋画家で可成天才があり、絵の評判も好く、容貌も悪い方ではなかったが、どうしても細君になる女が見つからなかった。その見つからないにはすこし理があった。しかし、それはごく親しい兄弟のようにしている友人でなければ判らないことであった。こんなことで洋画家の細君を見つけてやろうとした友人達も、ちょっと手にあましていたところで、そのうちに大阪の方で女学校を卒業した女があって、それが洋画家の足りないところを充たすことができそうだと云うことになった。で、骨を折って結婚さしてみると、その目ききはすこしもちがわないで、傍の者を羨ますような仲の好い夫婦が出来た。美術家はその話の中に、
(それこそ、二人は相逢うの遅きを怨むと云うほどでしたよ)と云う形容詞を用いて皆を笑わした。
 哲郎も腹を抱えて笑ったことを思いだした。美術家はそれから洋画家夫婦にすぐ子供の生れたことを話した。その生れた子供は毎日のように婢の手に抱かれて、正午比と夕方家の前へ出ていた。子供はひいひい泣いている時があった。通りかかった知己の者が訊くと、
(奥さんは、今、旦那さまとお書斎でお話をしておりましてね)
 などと云った。はじめにいた一度結婚したことのある婢は、何故かすぐ逃げだしてしまったと云うことも思いだした。彼の考えは頻に放縦な女の話へ往った。彼は中学生対手の雑誌を編輯している文学者の話した、某劇場の前にいた二人の露西亜女の処へ往って、葡萄酒をたくさん飲まされて帰って来たと云う話を思いだした。と、発育しきった外国婦人の肉体が白くほんのりと彼の眼の前に浮ぶように感じた。
(銀座の某店の前で、ステッキを売っている婆さんに、ステッキを買うふりをして訊くと、女を世話してくれる)
 何時も話題を多く持っている壮い新聞記者の話したことが浮んで来た。そこで彼はそのステッキを売っていると云う老婆に興味を感じて、そこへ頭をやったとこで時間のことが気になって来た。彼はカップに手をやったなりに顔をあげた。
 時計は十二時に十五分し…

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