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としょかんがよい
作品ID53896
副題――私の中学時代――
――わたしのちゅうがくじだい――
著者知里 真志保
文字遣い新字新仮名
底本 「和人は舟を食う」 北海道出版企画センター
2000(平成12)年6月9日
初出「北海タイムス」1955(昭和30)年4月10日
入力者川山隆
校正者雪森
公開 / 更新2015-09-13 / 2015-05-25
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 私が当時の室蘭中学校に入学したのは関東大震災の年、つまり大正12年のこと。登別の小学校から、室中1年1組の副級長として、中学生活の第一歩を踏み出した私は、現在振りかえってみてもあまり楽しい思い出をもたない。
 まだ人種的偏見のかなり激しかったころとて、国語や歴史などのように授業中アイヌという言葉を聞かなければならなかった学課は、そういう意味でどうも苦手だった。ただ1年のときの担任で板垣という柔道、体操を教えていた先生をはじめ、私を温くみまもってくれた先生や、二、三の友人には感謝したい。
 自分では“悪にたいする意志が強い”と思っていたが、この人たちがいなかったら現在の私はもっと変った道を歩いていたかも知れなかろう。精神分析学の原理にもあるとおり、自分に都合の悪いことはとかく忘れてしまうものだが、記憶にのこっている私の中学時代は非常に欠席が多かったということである。これは教室で受ける白眼視にたえられなかったからで、決して学業を怠けようと思ったからではない。かといってあまり自慢にもならないことはもちろんである。
 欠席がちでしかも小遣い銭も乏しかった私の足は自然図書館に向って、坪内逍遙訳のシエクスピア全集を読破したり、厨川白村の近代文学十二講や本間久雄の著書などに読みふけった。
 読書に興味が出たので、学校よりも図書館で独学したもののほうがほんとうに身についたように思う。5年のときに、これという目的もなくフランス語を自修して、ちょっと読めるくらいになっていた。けれども将来言語学をやろうという気になったわけではなく、言語学は東大の英文科にいたころ金田一博士や先輩の服部四郎(現在東大の言語学科主任教授)などの奨めによるものである。
 この間室中時代同期だった作家の八木義徳にあったら、私が中学時代にコンサイスをABC順に暗記して、覚えた頁から食べてしまったという一種の伝説のようなものを信じていたのには驚いた。私は貧しかったので辞書はもっていなかった。必要なときに兄のものを借りていたくらいだから、もちろん破いて食べてしまうことなどとても出来ない相談だったわけだ。
 辞書といえば、当時の私は辞書をひいて語源を探ったり、接頭語や接尾辞の関係を明らかにすることに興味をもっていたから案外言語学への第一歩はこの時代にふみ出していたのかも知れない。(談)
〈『北海タイムス』昭和30年4月10日〉



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