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愛の詩集
あいのししゅう
作品ID53947
副題03 愛の詩集
03 あいのししゅう
著者室生 犀星
文字遣い新字旧仮名
底本 「抒情小曲集・愛の詩集」 講談社文芸文庫、講談社
1995(平成7)年11月10日
入力者田村和義
校正者岡村和彦
公開 / 更新2014-06-05 / 2014-09-16
長さの目安約 74 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

みまかりたまひし父上におくる


いまは天にいまさむ うつくしき微笑いま

われに映りて、我が眉みそらに昂る……。






 私の室に一冊のよごれたバイブルがある。椅子につかふ厚織更紗で表紙をつけて背に羊の皮をはつて NEW TESTAMENT. とかいて私はそれを永い間持つてゐる。十余年間も有つてゐる。それは私の室の美しい夥しい本の中でも一番古くよごれてゐる。私は暗黒時代にはこのバイブル一冊しか机の上にもつてゐなかつた。寒さや飢ゑや病気やと戦ひながら、私の詩が一つとして世に現はれないころに、私はこのバイブルをふところに苦しんだり歩いたりしてゐた。いまその本をとつてみれば長い讃歎と吐息と自分に対する勝利の思ひ出とに、震ひ上つて激越した喜びをかんじるのであつた。私はこれからのちもこのバイブルを永く持つて、物悲しく併し楽しげな日暮など声高く朗読したりすることであらう。ある日には優しい友等とともに自分の過去を悲しげに語り明すことだらう。どれだけ夥しく此聖書を接吻することだらう。





わがなやみの日

みかほを蔽ひたまふなかれ

われは糧をくらふごとく灰をくらひ

わが飲みものに涙をまじへたり
詩篇百二
[#改ページ]

をさなき思ひ出



おれはよく山へ登つた

山にはいろんな花がさいてゐた

気の遠くなるやうな深い谷があつた

そこでよくねころんだ

そのゆめのあとが

ふいと今のおれの胸に残つてゐて

緑緑ともえてゐた



松並木は果もなかつた

僕はいつもとぼとぼと歩いて行つた

そのやうに海は遠かつた

僕はいつも泣きながら歩いた

歩いても歩いても遠かつた

僕は海の詩をかいて都へ送つた

あれからもう十年は経つて了つた





熱い日光を浴びてゐる一匹の蠅。此蠅ですら宇宙の宴に参与る一人で、自分のゐるべきところをちやんと心得てゐる。
フイドオル・ドストイエフスキイ
[#改ページ]

孝子実伝

ちちのみの父を負ふもの

ひとのみの肉と骨とを負ふもの

きみはゆくゆく涙をながし

そのあつき氷を踏み

夜明けむとするふるさとに

あらゆるものを血まみれにする
萩原朔太郎


 千九百十七年九月二十三日のまだ夜の明けぬうちに私はその最愛の父を失うた。父は真言宗の一僧都としてのその神の如き生涯の中、私を愛し私の詩作をはげました。父の世にあるうち此詩集をひと目見せたいといふ切な願望は、もはや明らかに失はれてゐた。父のそばに机を置いて詩をかいたことを思へば私は童顔白皙な額にその微笑を思ひ出すのだ。だれしも肉親をもつものの必然な運命とは思ひながら、私はいまさらに私の失うた愛は甚だ大きいものであることを知つた。これを父上におくる。


爾曹なにを願ふや鞭を以て我なんぢに至ることを願ふ乎。また愛と柔和の心を以て至ることを願ふ乎。
哥林多前書四ノ二十…

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