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みみず先生の歌
みみずせんせいのうた
作品ID54033
著者村山 籌子
文字遣い新字新仮名
底本 「日本プロレタリア文学集・39 プロレタリア詩集(二)」 新日本出版社
1987(昭和62)年6月30日
初出「働く婦人」1932(昭和7)年4月号
入力者坂本真一
校正者富田倫生
公開 / 更新2011-11-13 / 2015-08-29
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

僕の名前はみみず、
決してメメズなんて名前じゃない。
僕はメメズと呼ばれると、
いつでもこの長い身体が半分位に
ちぢまってしまうのだ。
僕は土の中に住んでいる。
朝から晩までせっせと働いているのだ。
何をしているのか?
土を耕やしているんだ。
何で?
僕はひっきりなしに土を食べるんだ。
土の中には僕達の身体を養う滋養物があるからだ。
夜になると、身体にたまった糞を出しに
土の上へ這い出すんだ。
僕の身体を通って外に出た土は粉のように細かい土なのだ。
こうして僕は土を耕かしているのだ。
僕はお百姓さんの味方で助手なんだ。
土の上へ這い出したついでに
僕はビタミンABCに富んだかどうだか知らないが、
落葉と青草を食うのだ。
僕達は愉快だ。
けれども土が乾くと、
すっかり元気がなくなって土の中で
まん丸く縮こまっている。
冬の間は僕達は土の底にもぐり込んで春の来るのをじっと待ってるんだ。
雨の日などに
僕達が土の上でごろごろしているのを見て、
雨に打たれてたたき出されたと思っている人がある。
けれどもそれは
認識不足(考えが足りない)というものだ。
雨でしめって土がやわらかくなると
僕達は自由に土をほりかえす事が出来るので、大急ぎで、新らしい所へ引っ越して行くのだ。
僕達は一刻もじっとしていない。
次から次へと新らしい所へ移って行く。
君達が次から次へと新らしい事を考えるように。
僕の身体は人間とは随分ちがっている。
僕は百四十の丸い節がつながっているのっぺら棒だ。
頭の方は少し大きく
尾の方は少し平らになっている。
僕には足がない。
目もなければ耳もない。
角もない。
けれど僕の触覚は大したものなのだ。
何故と言って、
僕はそれで明るい所と暗い所の見分けがつくからだ。
僕はこんにゃくの如く骨なしだ。
そしてこんにゃくの如く弾力がある。
だからこそ僕は足がなくても、
身体を伸縮させて這う事が出来るのだ。
僕は身体の中に色々立派な内臓を持っている。
第一番に食ったものを消化する器官。
そこには食道があり、餌袋があり、
砂袋があり、腸がある。
一つの節毎に左右に腎臓がついている。
身体中には血管があり、
それを循環している血は
君達と同じ赤い血だ。
動物学者はこういうのだ。
「みみずの脳には少ししか脳みそがはいっていない」
「それはデマ(うそっぱち)だ[#挿絵]」と
言いたいのだが残念ながら本当だ。
そのかわりには
僕はいかなる迫害を加えられようとも
決して痛くはない英雄である。
靴でけっとばされても
煙草の火で焼かれても
サーベルでぶっ切られても[#挿絵]
暴逆の嵐吹かば吹け、
僕の身体は又新らしく伸びてゆく。
我ながら珍物だと思っているが、
僕は男であって然も女である。
だから僕は、私は、卵を生む。
卵は顕微鏡で見るべき大きさだ。
一昼夜か二昼夜のうちに十二位生む…

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