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華厳経と法華経
けごんきょうとほけきょう
作品ID54228
著者槙村 浩
文字遣い新字旧仮名
底本 「槇村浩全集」 平凡堂書店
1984(昭和59)年1月20日
入力者坂本真一
校正者雪森
公開 / 更新2015-05-28 / 2015-03-08
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 華厳経と法華経は古来仏教の二大聖典として、併称された。両者は一世紀、家族奴隷の制度が頂点に達していた時代ヒンドスタンで生れ、中央アジアを経て北伝し、本国では半農奴制が爛熟期から崩壊期に向い封建的農奴制を徐々に準備している頃、すでに封建后数世紀を経た中国においては、題号通りの訳題で出版され、ほとんど中国的哲学文学の法典として、国営出版によって寺院の秘庫に流布された。華厳、法華共に、華とは穀物の花であり、これに対して前者は荘厳し、後者は南無し、すなはち前者は、労働する者の社会的生産物としての物質を前面に置き、相互浸透によって自己をかゝる世界像に物神の部分として帰入せしめるものであり、後者は、これに反して物質を自己の世界像の感性に隠顕するところの顕照物として、自己に帰入せしめた物質的宇宙を、自己の内部における未顕性において物神化するものである。
 これは世界の哲学のありふれた二つの型である。それはプラトン対アリストテレスの昔から、現代における唯物弁証法の方法論に至るまで、多かれ少なかれこの思想のラインは、互に対立しよれ合いその各々の、いくらか以上に物神の形象を体系づけることに役立ったのである。

 時代は貴族の圧制と奴隷の反乱の時代である。華厳経においては、安息所を侵略された天子なるゴオタマは、あらゆる天から天え避難するが、最后に「自由天(国)」から急に姿を消して、自由が常に圧制えの帰還を条件づける「蓄積の中有」であったように、こゝから古馴染の祇園の貴族宮殿え引き上げてくる。祇園宮は、僧領の典型的模型たる鹿野苑を統治する、理想の宮廷であった。彼はこゝで新らしい奴隷征伐の計画に着手する。けだし仏教では奴隷たることは煩悩であり無明であり、これを駆逐して主人公の権下に置くことは、一代蔵教の要目であったからである。この策戦会議の部分は特に入法界品と呼ばれ、後世の独立した四十華厳の種本となった。
 帰ってきたゴオタマは、まづ文珠と会見する。文珠は「支配の智恵」を意味し、支配者の蒙塵が起るたびに、新旧の生産関係の仲継者としてうや/\しく昔の主人を抱擁する役目を帯びているのである。そして彼は男性であるにかかわらず、仏母である。砂漠と大洋を寛濶の障壁として持つところの、独尊的なヒンドスタンや中国では、貴族の配偶者は常に多分に男性的である。この男色主義は、生産の中に深く根ざした所の、内攻的な家父長的奴隷制に基き、生産交換の正式の配偶たる貨幣の流通部面の起動力たる独立した商業一般を欠いだため、取引者同士の結婚の中における相互平等の契約が特に強制的になることによる、範疇の独占的互換が行われる。こうした文珠が、東洋的な「永遠の処女」となって、強姦されゝばされるほどいよ/\清らかな愛をもって、男性を牽き導き来ったのである。
 ゴオタマが抽象化され箇別的な存在から姿を消すと同時に、仏陀志願…

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