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断腸亭日乗
だんちょうていにちじょう
副題04 断腸亭日記巻之三大正八年歳次己未
04 だんちょうていにっきまきのさんたいしょうはちねんさいじつちのとひつじ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「荷風全集 第二十一巻」 岩波書店
1993(平成5)年6月25日
入力者米田
校正者小林繁雄
公開 / 更新2012-09-17 / 2014-09-16
長さの目安約 46 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

荷風年四十一

正月元旦。曇りて寒き日なり。九時頃目覚めて床の内にて一碗のシヨコラを啜り、一片のクロワサン(三日月形のパン)を食し、昨夜読残の疑雨集をよむ。余帰朝後十余年、毎朝焼麺麭と[#挿絵]琲とを朝飯の代りにせしが、去歳家を売り旅亭に在りし時、珈琲なきを以て、銀座の三浦屋より仏蘭西製のシヨコラムニヱーを取りよせ、蓐中にてこれを啜りしに、其味何となく仏蘭西に在りし時のことを思出さしめたり。仏蘭西人は起出でざる中、寝床にてシヨコラとクロワッサンとを食す。(余クロワッサンは尾張町ヴイヱナカッフヱーといふ米人の店にて購ふ。)読書午に至る。桜木の女中二人朝湯の帰り、門口より何ぞ御用はなきやと声かけて過ぎたり。自働車を命じ、雑司ヶ谷墓参に赴かむとせしが、正月のことゝて自働車出払ひ、人力車も遠路をいとひ多忙と称して来らず。風吹出で寒くなりしかば遂に墓参を止む。夕刻麻布森下町の灸師来りて療治をなす。大雨降り出し南風烈しく、蒸暑き夜となりぬ。八時頃夕餉をなさむとて桜木に至る。藝者皆疲労し居眠りするもあり。八重福余が膝によりかゝりて又眠る。鄰楼頻に新春の曲を弾ずるものあり。梅吉※[#「くさかんむり/即」、U+83AD、55-2]付せしものなりと云。余この夜故なきに憂愁禁じがたし。王次回が排レ愁剰有二聴歌処一。到得レ聴レ歌又涙零。の一詩を低唱して、三更家に帰る。風雨一過、星斗森然たり。
正月二日。曇りてさむし。午頃起出で表通の銭湯に入る。午後墓参に赴かむとせしが、悪寒を覚えし故再び臥す。夕刻灸師来る。夜半八重福春着裾模様のまゝにて来り宿す。余始めて此妓を見たりし時には、唯おとなしやかなる女とのみ、別に心づくところもなかりしが、此夜燈下につく/″\その風姿を見るに、眼尻口元どこともなく当年の翁家富枩に似たる処あり。撫肩にて弱[#挿絵]しく見ゆる処凄艶寧富松にまさりたり。早朝八重福帰りし後、枕上頻に旧事を追懐す。睡より覚むれば日既に高し。
正月三日。快晴稍暖なり。午後雑司谷に徃き先考の墓を拝す。去月売宅の際植木屋に命じ、墓畔に移し植えたる蝋梅を見るに花開かず。移植の時節よろしからず枯れしなるべし。夕刻帰宅。草訣辨疑を写す。夜半八重福来り宿す。
正月四日。八重福との情交日を追ふに従つてます/\濃なり。多年孤独の身辺、俄に春の来れる心地す。
正月五日。寒甚し。終日草訣辨疑をうつす。
正月六日。櫓下の妓家増田屋の女房、妓八重福と、浜町の小常磐に飲む。夜桜木にて哥沢芝きぬに逢ひ梅ごよみを語る。此日暖なり。
正月七日。林檎麺麭其他食料品を購はむとて、夕刻銀座に徃く。三十間堀河岸通の夕照甚佳なり。
正月八日。竹田屋西鶴の作と言伝る色里三世帯を持来る。春陽堂主人の請ふにまかせ、自ら断膓亭尺牘を編む。八重福吾家に来り宿すること、正月二日以後毎夜となる。
正月九日。昼前梅吉方にて清心三味線けいこす…

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