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特殊部落と寺院
とくしゅぶらくとじいん
作品ID54431
著者喜田 貞吉
文字遣い新字新仮名
底本 「被差別部落とは何か」 河出書房新社
2008(平成20)年2月29日
初出「民族と歴史 第二巻第一号 特殊部落研究」1919(大正8)年7月
入力者川山隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2013-03-13 / 2014-09-16
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 部落民は一般に仏法に対して最も熱烈なる信仰を有している。彼らが寺院に参詣して仏を拝し法を聴くの状態を見るに、一心に浄土を欣求するの至情が躍如たるものがある。彼らには日常の生活に苦しむ身でも、御本山への志納金はあえて怠らない。旅費がなくなって空腹を忍びつつ、遠路を徒歩して、遂に行き倒れにまでなりかけた婆さんが、懐中なる阿弥陀様のお金には手をつけなかったという話もある。けだし彼らはもと屠殺を業とし、皮革を扱い、肉食に慣れていたがために、穢れたるものとして、仏者から嫌われ、ことに仏臭を帯びた神道者流から甚だしく忌まれた結果、自然と仏縁にも遠かったのを、幸いに真宗の布教によって救われて、始めて極楽往生の有難いことを覚ったのであった。ことに彼らは、社会の圧迫がますます彼らに加わり、社会の侮蔑がますます彼らに注がれるに及んで、痛切に現世の穢土なることを観じ、一心に浄土を冀うのほかまた何らの光明をも認め難きの状態となったが為に、これをその光明界に導き給う仏に帰依するの殊に篤きに至ったのは、まことに無理ならぬ次第である。
 彼らを絶望の暗黒界から救ったのは実際真宗であった。それ迄は彼らの多数は、殆ど仏教から縁なき衆生として度外視されていたのであろう。切支丹の禁制がやかましくなって、いやしくも日本国土に生活するもの、必ず何らかの仏教寺院の檀那でなければならなくなった後から思うと、また非人と言われたものの中に、僧形をなしたものの少からなんだ事実から考えると、古くからこの社会にも仏教は弘通していたかの如く想像されやすいけれども、実際祖先以来の風習をそのまま保存して、山の幸海の幸に生活し、殺生を悪事とせず、肉食を汚穢としなかった屠者とか、猟師とか、漁夫――漁夫もまた見様によっては屠者の族で、漁家の出たる日蓮上人は、自ら旃多羅の子だと言っておられる。――とかの仲間の多数が概して仏教に縁が遠かったと想像されるのは不思議でなかろう。ことに室町時代僧侶の眼に映した屠者の如きは、「臥雲日件録」に、「蓋人中最下之種」とまで絶叫された程であったから、僧侶が自らこれに手を着けて、仏縁を結ばしめようとする様な篤志のものは少かったものとみえる。否むしろこれらの徒に近づくのを以て、仏の戒律に背いたものだとまで解していた様である。かの藍染屋の如きは、もとエタの徒と見做されていたのであるが、「谷響集」に、大方等陀羅尼経というのを引いて、藍染家に往来するをえざるの制があると述べている。「三好記」によると、細川氏が勝瑞で阿波を領していた頃、篤志の寺院が青屋を檀家に持ったのに対して、仲間の寺院からボイコットを行った事実が見えている。

昔之勝瑞之町之時、堅久寺と申真言寺、青や太郎左衛門米を持申たるにより、だんなに被レ仕候時、持明院・菊蔵院・長善坊・光輪寺・妙楽寺・清長寺、みな真言寺にて候が、堅久寺とつきあひをと…

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