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エタと非人と普通人
エタとひにんとふつうじん
作品ID54436
著者喜田 貞吉
文字遣い新字新仮名
底本 「被差別部落とは何か」 河出書房新社
2008(平成20)年2月29日
初出「民族と歴史 第二巻第一号 特殊部落研究」1919(大正8)年7月
入力者川山隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2013-02-18 / 2014-09-16
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 踏み出しの方向如何によって、一歩の差は遂に千里の差となる。称号廃止以前のエタの状態を見るに慣れたものは、所謂エタと普通人との間には、まるで人種がでも違ったものの如く考えたのも無理からぬ程に、彼此の地位に懸隔が設けられていた。しかしその中間に非人というものを置いて、さらにその所謂非人の古えを考えてみたならば、その間何ら区別のないものたる事は、容易に理会せらるべきものである。
 エタと云い、夙と云い、河原者と云い、その身分にも、取扱いにも、社会のこれに対する感情にも、それぞれ区別のあるものの如く解せられてはいたが、本をただせばそう区別のあったものでない事は、別項「エタ源流考」に於いて説いておいた。鎌倉時代にはキヨメをエタと呼んでいた。室町時代には河原者をエタと呼んでいた。そして「今物語」によると、そのキヨメなるものは、実にまた一条河原の河原者であった。しかるに、その河原者なる者は、別項「河原者考」にある如く、その当時の事にしてみれば、いまの日雇取りや手伝い・土方などいうものと、職業上・身分上そう区別のなかったのである。否むしろ彼らは、当時身分を落して人の忌がる賤職に従事していたお蔭で、生計上はむしろ余裕のあったものが多く、一条河原のキヨメの美人が、盛装して五位の蔵人を恍惚たらしめたという話もある程である。また兵庫の夙の者は今日退転して土地の人もこれを忘れ、通称宿の八幡にその名を止めているだけであるが、その当時もエタの様に疎外されていたとは思われぬ。しかも彼らは慶長十七年に片桐且元のお墨付を頂戴して、町方なり、湯屋・風呂屋・傾城屋などの営業者なりから、定期に扶持料を要求する。祝儀・不祝儀の際に、またそれぞれの贈与を要求する。盗賊追捕の際にはその衣服を与えられる等の権利を与えられ、町方の警固なり、その雑役に任じていたのである。そしてこの事は徳川時代に各地のエタが与えられた特権や、課せられた雑役と類似のもので、当時に於いてはエタと夙との間に、そう区別のなかったものと察せられる。しかるにこれらの河原者や夙などの中で、皮革を扱い肉を食して、その身に穢ありと認められたものがエタとなり、他のものと区別さるるに至ったのである。
 エタにならなかった河原者とか夙の者とかは、一旦非人という仲間に入れられて、後に解放されたのもあれば、ただちに普通人に混じたのも多かろう。平安朝の社会状態を調査した者は、家人・奴婢の徒が立身出世して、社会の有力者となったものの少からぬことを容易に認めるであろう。駆使丁の賤者が一朝にして乗馬の郎等となり、野宿・山宿・河原者の徒が武技を練磨して武士になったのも多かろう。官兵微力にして用に堪えず、雑色浮宕の輩がかえって国家の信頼する勢力となった時代に、所謂河原者の輩が所謂オオミタカラなる公民を凌駕して、社会の上位に進んだものの多かるべきことは、今さら言うまで…

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