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「エタ」名義考
「エタ」めいぎこう
作品ID54441
著者喜田 貞吉
文字遣い新字新仮名
底本 「被差別部落とは何か」 河出書房新社
2008(平成20)年2月29日
初出「民族と歴史 第二巻第一号 特殊部落研究」1919(大正8)年7月
入力者川山隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2013-02-18 / 2014-09-16
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

1 「穢多」という文字の使用

 同じ日本の国土に生を営む一部の人民に対して、「穢多」という極めて同情のない文字を用い始めたのは、いつの頃、何人の仕業であるか、思えば罪の深い事をしたものである。
 この文字の為にその仲間の者が社交上蒙る不利益は、実に夥しいものである。非人は足洗をして素人になる道もあるが、エタは人そのものが穢れているからというので、徳川時代に於いては、遠州の或る地方を除いては、大抵絶対に「足洗」の出来ぬ事になっておった(別項「遠州の足洗」参照)。大体肉を喰い皮を扱う事が穢れであって、我が神明これを忌み給うという思想の誤まりであった事は、今さら言うまでもない。太古の諸神が親しく狩猟漁業に従事し給うた伝説が存し、神社の祭典に犠牲を供した事実が少からず証拠立てられる以上(別項「上代肉食考」参照)、また神を祭る「祝」の名が、動物を屠るホフリ、すなわち屠者と起原を一つにすべく考えられる以上(別項「屠者考」参照)、神が肉や皮に触れたものをお嫌いになるという筈はない。仏法が我が国に伝わり、殺生を忌み、血腥い事を嫌う様になっては、すでに大宝令にも斎の間臨時に肉を避けるという事もあったけれども、それはただ臨時の禁であった。その後両部神道の思想から、所謂触穢の禁忌がやかましくなっても、ただその穢に触れたものだけが、一定の期日間神に近づく事を避けるを要としたのみで、人そのものが穢れたものだとはしなかった。無論屠殺を常職とする輩は、常にその穢を繰り返している事であるから、特に触穢をやかましく云った賀茂御祖神社では、その付近に屠者の住むを禁じたとの事もあったけれども、それも単に御祖神社だけの事で、他の大社にはそれが見えぬ。また御祖神社にしたところで、その人が職業を改め、屠者でなくなれば、一向差支えなかった筈である。餌取を畜生か何ぞの様に忌み嫌うた仏徒の目からも、餌取法師が念仏の功徳によって仏果を得た事を認めておった当世に、人そのものが穢れておって、子孫の末まで足洗が出来ぬという様な思想があるべき等がない。別項「エタ源流考」中に於いて述べた通り、所謂エタの中には、もとエタならぬものが多く流れ込んでいるとともに、もとエタと同じ仲間であったものから、エタならぬ方へ流れ出したものも昔は多かったに相違ない。しかるに彼らが、永くエタの種をつがなければならぬ事に定められたのは、言うまでもなく徳川幕府が、浅草弾左衛門をして東国のエタを取り締らしめ、町人百姓とは全く別扱いのものにしてしまって、諸大名また多くこれに倣った結果であるが、そうなったについても、また彼らが特別に賤しまれたについても、一つは確かに「穢多」という文字が累をなして、世人から理由を知らずにただ穢ないものだと盲信せられた結果でもある。弾左衛門の法は絶対に足洗を許さなかったが、しかもそれは全国に及んだのではなかった。遠州の…

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