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螽蟖の記
きりぎりすのき
作品ID54453
著者室生 犀星
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆19 秋」 作品社
1984(昭和59)年5月25日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2013-02-09 / 2014-09-16
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 きりぎりすは夜明けの四時になると鳴き止む。部屋のなかに籠を置いて雨戸を閉めてあっても、四時になるとぱったり静かになる。なぜかというと、四時には明け方の微かな明りが漂いはじめるからだ。それがきりぎりすには判るらしい。夕方から鳴きはじめるが、夜更けの一時から二時の間にしききりなしに鳴く。息をつかずに僕のかぞえた数では、百十一遍続けさまに鳴いていた。つまり、きりきりきりという口調をくりかえすのである。しかし僕のいうのは昼間鳴くきりぎりすではない。だから信州では夜なくのを「きす」といい、昼間なくのを「本ぎす」といっていた。
 きりぎりすは昼間もなくが、風が吹くとなく。風が吹くと羽根さばきがらくになり、気持よくなけるらしい。昆虫でも物に怖がったり不快なときは鳴かないにちがいない。昼間静かな雨がくる前に、何となく冷気をかんじるようなときにも鳴く。併しそれらのどういう機会にも増して夜中に鳴く声は、きりぎりす自身が自分で鳴きながらうっとりしている状態がよくわかるのだ。一生懸命になり、ほれぼれと鳴いている。歌俳諧によみ込まれているような悲哀の情からではない、きりぎりす自身は愉快で楽しくて暫くでも黙っていられないのである。きりぎりすの昂奮しているのが判るような気がする。僕は毎年軽井沢にくると子供にせがまれ、きりぎりすをつかまえなければならんことになる。つまり僕がつかまえることが上手なように子供達に思われ、僕はその信用をうらぎりたくないために、無理にも上手にならなければならないのである。だから蚋にくわれながら懐中電燈をもって叢のなかを明るく照らす、懐中電燈の明りは叢のなかを青写真のように映し出し、茎と葉との宮殿がならんで見える。全く叢のなかの夜ほど美しいものはない。きりぎりすは大抵叢の中段のような芒や雁来紅の枝葉の上を少しずつ動きながら、鳴いている。枝葉を移りながらいるのは、叢のなかでは一番大きく立派に見える。顔つきはどこか兜のようにがっしりしているし、鬚が栗いろの強い張りをもって絶えず微動しながら、草の葉と葉のすきまを縫うている。一たいに叢は茨や芒や月草や雁来紅や萩のしげみになっているが、きりぎりすのほかにいろいろな秋の虫がじっとしているのや這うているのや数えきれないくらい沢山に住んでいる。瓜蠅、つゆ虫、ばった、足長蜘蛛、蚋、蚊とんぼ、尺蠖、金亀子、羽蟻、蟷螂、それ等の虫がそれぞれ枝と葉の宮殿のなかに休んでいる。つゆ虫(馬追ともいうが)ときりぎりすだけは忙しげにないているだけである。
 僕は或るときにきりぎりすを二疋同じい籠に入れておいたが、翌朝になると一疋は喰い殺されてしまっていた。喰い殺されたほうは腹を食いやぶられていたが、何度入れかえても同様に殺されていた。きりぎりすは同じ種族同士を共食いにするものであるらしい。大抵、腹のにくを食われている。葱、きゅうりを餌にしてやるが…

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