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笛と太鼓
ふえとたいこ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆25 音」 作品社
1984(昭和59)年11月25日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2013-01-28 / 2014-09-16
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)
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本文より


 子供ができてから半年ほど経つと、国の母から小包がとどき、ひらいてみると、小さい太鼓と笛とが入つてあつた。太鼓には六十銭といふ赤縁の正札が貼られたままあつた。巴の紋のついた皮張りで、叩いてみると、まだ新しいだけよく鳴るのである。無器用な作りを見せた笛にも、やはり田舎らしい、暗ずんだよい音いろがあつた。
 片町といふ目ぬきの田舎の市街に、中島といふおもちややがあつた。風船、ゴム玉、汽車や刀や、さまざまな珍奇な弄品が、ところ狭いまでならべられ、サアベルや鉄砲の錻力の光つた色が、ちかちかしてゐた。そこの店さきに立ち、あれでもない、これでもないと、択り急いでゐる老いた母の姿が、じくじくした時雨つづきの、どうかすると霰でも来さうなうそ寒い日和と一しよに、やさしく、目にうかんでくるのである。
 太鼓は毎日よく鳴るのである。とんとんとことんといふふうに、それを部屋にゐて机にかじりつき、あたまが濁り怺へかねてゐるときにも、知らず識らず私はほほ笑むやうな気になり、やかましくても叱るわけには行かんのである。遠いやうにも聞え、また近近と頭にひびきもする。しまひにはペンを投げ出し、いらいらした顔と目をこすり、こすることによつて一度に草臥れた私は、子供のそばへ行き、かんかんと太鼓を叩くのだつた。あたまは益益いたむが、坐り込んでさうしてゐると何だか優しくなれるからだつた。正札だけは人がみてもをかしいから除つてしまひませうと、女が六十銭とかいた四角な正札に指さきをつけるのだ。さうして置いておけ、いや剥いだ方が、いいかな、いややはりその儘にしておくんだと自分でもわかり兼ねるやうに、この小さな太鼓をみつめるのだつた。
 朝は朝晴れのなかに太鼓の音がひびくのである。勉強部屋へはいらぬ前に、こんな音をきくのは、頭の調子をわるくするとは知りながら、疲れた頭になつて泣くな泣くなと太鼓を叩くのである。それゆゑ、つい書きもののとつつきが逸れ、ぼんやりと庭をながめてゐるやうな日になることが多かつた。



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