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夫婦善哉
めおとぜんざい
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「ちくま日本文学全集 織田作之助」 筑摩書房
1993(平成5)年5月20日
初出「海風」1940(昭和15)年4月
入力者野口英司
校正者江戸尚美
公開 / 更新2000-12-01 / 2014-09-17
長さの目安約 62 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 年中借金取が出はいりした。節季はむろんまるで毎日のことで、醤油屋、油屋、八百屋、鰯屋、乾物屋、炭屋、米屋、家主その他、いずれも厳しい催促だった。路地の入り口で牛蒡、蓮根、芋、三ツ葉、蒟蒻、紅生姜、鯣、鰯など一銭天婦羅を揚げて商っている種吉は借金取の姿が見えると、下向いてにわかに饂飩粉をこねる真似した。近所の小供たちも、「おっさん、はよ牛蒡揚げてんかいナ」と待てしばしがなく、「よっしゃ、今揚げたアるぜ」というものの擂鉢の底をごしごしやるだけで、水洟の落ちたのも気付かなかった。
 種吉では話にならぬから素通りして路地の奥へ行き種吉の女房に掛け合うと、女房のお辰は種吉とは大分違って、借金取の動作に注意の目をくばった。催促の身振りが余って腰掛けている板の間をちょっとでもたたくと、お辰はすかさず、「人さまの家の板の間たたいて、あんた、それでよろしおまんのんか」と血相かえるのだった。「そこは家の神様が宿ったはるとこだっせ」
 芝居のつもりだがそれでもやはり興奮するのか、声に泪がまじる位であるから、相手は驚いて、「無茶いいなはんナ、何も私はたたかしまへんぜ」とむしろ開き直り、二三度押問答のあげく、結局お辰はいい負けて、素手では帰せぬ羽目になり、五十銭か一円だけ身を切られる想いで渡さねばならなかった。それでも、一度だけだが、板の間のことをその場で指摘されると、何ともいい訳けのない困り方でいきなり平身低頭して詫びを入れ、ほうほうの体で逃げ帰った借金取があったと、きまってあとでお辰の愚痴の相手は娘の蝶子であった。
 そんな母親を蝶子はみっともないとも哀れとも思った。それで、母親を欺して買食いの金をせしめたり、天婦羅の売上箱から小銭を盗んだりして来たことが、ちょっと後悔された。種吉の天婦羅は味で売ってなかなか評判よかったが、そのため損をしているようだった。蓮根でも蒟蒻でもすこぶる厚身で、お辰の目にも引き合わぬと見えたが、種吉は算盤おいてみて、「七厘の元を一銭に商って損するわけはない」家に金の残らぬのは前々の借金で毎日の売上げが喰込んで行くためだとの種吉の言い分はもっともだったが、しかし、十二歳の蝶子には、父親の算盤には炭代や醤油代がはいっていないと知れた。
 天婦羅だけでは立ち行かぬから、近所に葬式があるたびに、駕籠かき人足に雇われた。氏神の夏祭には、水着を着てお宮の大提燈を担いで練ると、日当九十銭になった。鎧を着ると三十銭あがりだった。種吉の留守にはお辰が天婦羅を揚げた。お辰は存分に材料を節約したから、祭の日通り掛りに見て、種吉は肩身の狭い想いをし、鎧の下を汗が走った。
 よくよく貧乏したので、蝶子が小学校を卒えると、あわてて女中奉公に出した。俗に、河童横町の材木屋の主人から随分と良い条件で話があったので、お辰の頭に思いがけぬ血色が出たが、ゆくゆくは妾にしろとの肚が読めて父親…

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