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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
作品ID54560
副題256 恋をせぬ女
256 こいをせぬおんな
著者野村 胡堂
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第一卷 恋をせぬ女」 同光社磯部書房
1953(昭和28)年3月25日
初出「オール讀物」文藝春秋新社、1951(昭和26)年9月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2015-05-17 / 2017-03-04
長さの目安約 31 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「親分、あつしはもう口惜しくて口惜しくて」
 八五郎はいきなり怒鳴り込むのです。彼岸過ぎのよく晴れた朝、秋草の鉢の世話に、餘念も無い平次は、
「騷々しいな、何が一體口惜しいんだ。好物の羊羹でも喰ひ損ねたのか」
 一向氣の無い顏を擧げるのでした。
「そんな氣樂な話ぢやありませんよ。親分も知つて居なさるでせう、菊坂小町と言はれた小森屋の娘お通が、昨夜殺されましたぜ」
「フーム」
「口惜しいぢやありませんか。あつしの岡惚れでも何んでも無いが、本郷中をピカピカさした娘を、虫のやうに殺して宜いものでせうか、親分」
「泣くなよ八、それにしても、向柳原に居るお前が、菊坂の殺しを俺より先に嗅ぎ出すのは、大層良い鼻ぢや無いか」
「追分に用事があつて、セカセカと本郷の通りを行くと、鉢合せしさうになつたのは、臺町の由松親分ぢやありませんか。その由松親分が、『菊坂小町が殺されて、昨夜から調べにかゝつて居るが、俺一人では我慢にも裁ききれねえ、錢形の親分を迎ひに行くところだ』といふから、あつしが引返して親分をつれ出すことになり、由松親分は其處から又菊坂の現場へ引返しましたよ――」
 八五郎は言葉せはしく説明するのです。
「よし、臺町の由松親分の頼みなら、行かざアなるめえ」
 平次は手早く支度をして、菊坂町へ飛んだのです。
 お通の父親といふのは、小森彌八郎といふかなりの分限者で、昔は槍一筋の家柄であつたと言ひますが、今では町内の大地主として、界隈に勢力を振ひ、娘のお通の美しさと共に、山の手中に響いて居ります。
 小森屋の住居もまた、町人にしては非凡の贅でした。菊坂の坂上に建てたコの字型の建物で、玄關や破風や長押を憚つた町家造りには違ひありませんが、それを内部の數寄を凝らした贅澤さに置き換へて、木口も建具も一つ/\が人の目を驚かします。
「錢形の親分」
 主人の彌八郎は一應平次を迎へましたが、激しい心の動亂に、急には言葉も出ない樣子です。五十前後のすぐれた人品で、江戸の分限者らしい中老人ですが、かうした知的な見かけのうちに、案外の情熱を持つてゐるのかもわかりません。
「飛んだことでしたね、小森屋さん」
 平次もこれは知らない顏ではありません。
「親分、あの神樣のやうな娘を、――あんまりひどいことをするぢやありませんか。どんなことをしても、敵を取つて下さい、お願ひです」
 日頃の傲慢さに似ず、打ち萎れた父親の姿は、見る眼にもあはれでした。
 娘お通の殺されたのは、母屋と中庭を隔てゝ相對する廊下續きの六疊の一と間で、それはお伽噺の姫君の部屋のやうな、可愛らしくも美しいものです。母屋に向いた北側は丸窓で、南は總縁、その外は板塀で、板塀の下は崖になつて居り、崖の下には折り重つたやうに町家が續いて居ります。
 母家から廊下傳ひに、娘の部屋へ入つて行くと、親類の小母さん方が二三人、濕つぽく死骸…

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