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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題253 猫の首環
253 ねこのくびわ
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第一卷 恋をせぬ女」 同光社磯部書房
1953(昭和28)年3月25日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1951(昭和26)年6月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2015-05-08 / 2015-03-08
長さの目安約 29 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



「人の心といふものは恐ろしいものですね、親分」
 八五郎が顎を撫で乍ら、いきなりそんな事を言ふのです。
「あれ、大層物を考へるんだね。菓子屋の前を通ると、店先の大福餅をつかみ喰ひしたくなつたり、酒屋の前を通る度に、鼻をヒク/\させるのも、人間の心の恐ろしさだといふわけだらう」
「止して下さいよ、親分、あつしのことぢやありませんよ」
 平次の鼻の先で、八五郎は無性にでつかい手を振りました。
「さうだらうとも、お前の心なんてものは、ビードロ細工で見透しだよ、腹が減るとお勝手ばかり覗くし、お小遣が無くなると、俺の懷を氣にするし」
「もう澤山、――あつしの言ふのは、淺草阿倍川町の佛米屋と言はれた俵屋孫右衞門が、昨夜隱居所で殺されてゐたと聽いたら、親分だつて變な心持になるだらうといふことですよ」
 八五郎は漸く本筋に入りました。
「へエ、あの評判の良い人がねえ、俺は逢つたことも無いが、昔は淺草で鳴らした人だといふぢやないか」
「少し一徹者ではあつたが、義理堅くて深切で、評判の良い人でしたよ。それを虫のやうに殺すなんか、ひどいぢやありませんか、八方から人氣のあつた孫右衞門を、殺すほど怨んでゐた者があると思ふと、あつしは世の中がいやになりましたよ」
「八五郎に出家遁世されると、俺も困るし、差當りあの娘が泣くだらう。人助けのため阿倍川町へ出かけて見るとしようか」
「さうして下さいよ、親分が乘出して、下手人を縛つて下さると、あの娘が喜びますよ」
「誰だえ、お前の言ふあの娘は?」
「俵屋孫右衞門の娘、お柳と言つて十六、花の莟のやうな可愛らしい娘ですよ」
「俺の言ふあの娘は、煮賣屋のお勘子さ」
「冗談いつちやいけません」
「お前には少しお職過ぎるかな」
 無駄を言ひ乍ら、手早く仕度をして、二人は五月の陽の照りつける街へ出ました。
 道々八五郎は、俵屋のことを、いろ/\説明してくれます。先代の主人孫右衞門は、佛米屋と言はれた、評判の良い人でしたが、十年前に配偶に先立たれ、四、五年前から中風で足腰の自由を失ひ、二年前からは寢たつきりで、家督は養子の矢之助に讓り、何不自由なく養生して居るといふことです。
 當主の矢之助は、孫右衞門に子が無かつた爲の夫婦養子で、嫁のお舟は遠縁の者、矢之助は四十二の厄、内儀のお舟は三十八の働き盛り、多數の雇人を、顎の先で使ひこなすと言つた、口八丁の才女です。
 孫右衞門の本當の娘のお柳は、矢之助お舟の夫婦養子が入つてから出來た子で、今更どうにもならない存在でした。それ丈けに孫右衞門の寵愛が深く、わけても母親の死んだ後は、簪の花のやうに大事に育てました。
 家族はその四人だけ、あとは、番頭の與七が四十八の白鼠、手代の幾松は十九の子飼ひ、親は有名な幇間の幸三郎ですが、伜まで道樂商賣は見習はせ度くないといふので、曾ての旦那筋、先代孫右衞門に頼んで堅氣の商人…

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