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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題037 人形の誘惑
037 にんぎょうのゆうわく
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第五卷 蝉丸の香爐」 同光社磯部書房
1953(昭和28)年6月20日再版
初出「オール讀物」文藝春秋社、1935(昭和10)年2月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2015-06-10 / 2015-05-06
長さの目安約 29 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 新吉は眼の前が眞つ暗になるやうな心持でした。二年越言ひ交したお駒が、お爲ごかしの切れ話を持出して、泣いて頼む新吉の未練さを嘲けるやうに、プイと材木置場を離れて、宵暗の中に消え込んで了つたのです。
 ――父親が聽いてくれないから、末遂げて添ふ見込はない。出世前のお前さんに苦勞をさせるより、今のうちに切れた方が宜い――といふのは、十八や十九の若い娘の分別といふものでせうか。
 ――父親の不承知は今に始まつたことではない、版木彫りの下職に、何程の出世があらう――と詰め寄ると、お駒は唯もう父親の不承知一點張で、取付く島もないやうな冷たい顏をして、――これからは逢つても口を利いておくれでない、つまらない噂を立てられると、お互の爲にもならないから――そんな念入りな事まで言つて、美しいおもかげだけを殘して、一陣の薫風のやうに立去つたのでした。
「新さん」
 不意に、後ろから聲を掛けた者があります。
「――」
 默つて材木から顏を離して振り返ると、肩のあたりへ近々と、お駒の繼母のお仙が、連れ子の少し足りない定吉と一緒に、心配さうに立つて居るのでした。濡手拭を持つて居るところを見ると、町内の錢湯へ行つた歸り、夜遊びに出た愚かな伜と一緒になつたのでせう。もう十九にもなる定吉は母親の後ろから顏を出して、大の男の泣くのを、世にも不思議さうに眺めて居ります。
「新さん、お前さんは可哀想だね。――聽いちや惡いと思つたけれど、出逢頭で、逃げることも隱れることも出來ないんだもの、皆んな聽いて了つたよ」
「――」
「あの娘はね、あの通りの氣象者だから、お前さんの氣持も考へずに、ポン/\切れ話をするんだらう」
「――」
「新さん、お前さんの前だから言ふんぢやないが、私は蔭乍ら隨分骨を折つた積りさ。生さぬ仲の遠慮はあるにしても、あんまり勝手で見て居られないから、――どんな事があつても、新さんを捨てちや冥利が惡い、もう一度考へ直すやうに――つてネ」
 お仙は新吉の背でもさすつてやり度い樣子でした。房五郎の後添、お駒の爲には繼母に相違ありませんが、本當によく出來た人で、四十八九にしては若々しい容貌と共に、町内でも褒めものの女房だつたのです。
「――」
 新吉は恐ろしい激情に打ちひしがれて、口もきけない樣子でした。二十一にもなつて居るくせに、氣の弱い生れ付きで、男前でも立派でなければ、親分手合の房五郎の娘と、割ない中になるやうな、大した貫祿の人間ではなかつたのです。
「新さん、短氣を起しちやいけないよ、又そのうちに良い話があるかも知れない。――私ぢや大した力にもならないが、夫の罪亡ぼしもあることだから、出來るだけの事はして上げ度い」
 せめてこの母親の半分もお駒に眞心があつたら――と新吉は又新しい涙を誘はれました。
「おつ母ア、歸らうよ」
 伜の定吉は、二人の話に退屈して、グイグイと母親の袖を…

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