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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題297 花見の留守
297 はなみのるす
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第五卷 蝉丸の香爐」 同光社磯部書房
1953(昭和28)年5月25日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1953(昭和28)年3月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2015-05-29 / 2015-04-06
長さの目安約 29 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



「親分、向島は見頃ださうですね」
 ガラツ八の八五郎は、縁側からニジり上がりました。庭一杯の春の陽ざし、平次の軒にもこの頃は鶯が來て鳴くのです。
「さうだつてね、握り拳の花見なんかは腹を立てゝ歸るだけだから、お前に誘はれても附き合はねえつもりだが――」
 平次は相變らず世上の春を、貧乏臭く眺めて居るのでせう。
「へツ、不景氣ですね、錢形の親分ともあらうものが、――。駒形の佐渡屋が、三日に一度でも、七日に一度でも宜い、錢形の親分が見廻つてくれたら、用心棒代と言つちや惡いが、ほんの煙草錢だけでも出しませうと、執こく持込んだのも斷つたでせう」
「馬鹿なことを言へ。金持の用心棒になる位なら、俺は十手捕繩を返上して、女房に駄菓子でも賣らせるよ。向島へ誘ひ出さうといふのも佐渡屋に誘はれたのぢやないか。あすこには結構な寮がある筈だが」
「呆れたものだ」
「俺の方が餘つ程呆れるよ。そんなに向島が眺めたかつたら、縁側に昇つて背伸して見ろ、梁に顎を引つかけると、丑寅の方にポーツと櫻が見える――」
「冗談言つちやいけません。いくら背伸したつて、明神下から向島が見えますか」
「見えなきや諦めろ、ロクロツ首に生れつかなかつたのが、お前の不運だ」
「有難い仕合せで」
 額を平手で叩いて舌をペロリと出し乍らも八五郎は諦めてしまひました。此上セガむと平次は花見の入費に女房の身の皮を剥ぎかねないのです。正月からの交際や仕事の上の諸入費で、親分の平次が首も廻らないことを、八五郎はよく知つてゐたのです。
 それでも諦め兼ねたものか八五郎は、良いお天氣に誘はれて、フラフラと向島に行つたのも無理のないことでした。
 駒形の地主で佐渡屋平左衞門、實は八五郎に旨を含めて、その日向島諏訪明神裏の寮に花見といふことにして錢形平次をつれ込み、一杯御馳走した上で、平次に頼み度い用事があつたのですが、金持ちに誘はれてノコノコ呑みに出かける平次でもなく、うまく持ちかけた八五郎の誘ひもはぐらかされて、仕樣ことなしに、八五郎一人だけ、佐渡屋の寮に面目次第もない顏を持込んだわけです。
「まア/\宜い、八五郎親分も氣になさることは無い。餘計な細工をして、堅いので通つた錢形の親分を、おびき出さうとしたのが惡かつたよ。まア/\花でも見乍ら、ゆつくり呑んで行つて下さい」
 佐渡屋平左衞門は、まことによくわかつた旦那でした。その頃の大通の一人で、金があつて智慧があつて、男前が立派で、よく氣がつくのですから、誠に申分の無い人柄でした。
「ところで、親分に御相談といふのは、どんなことでせう。あつしでは役に立ちませんか。花を眺めて、御馳走になりつ放しぢや、氣になりますね」
 寺島村の田圃から、遠く櫻の土手を見晴らした南座敷に、佐渡屋平左衞門と八五郎は相對しました。この時主人の平左衞門は四十前後、色の淺黒い、燻したやうな澁い感じで、…

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