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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題042 庚申横町
042 こうしんよこちょう
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第六卷 兵庫の眼玉」 同光社磯部書房
1953(昭和28)年6月10日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1935(昭和10)年7月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2015-06-28 / 2015-03-08
長さの目安約 29 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



「親分、向うの角を左へ曲りましたぜ」
「よしツ、手前は此處で見張れ、俺は向うへ廻つて、逆に引返して來る」
 平次とガラツ八は、近頃江戸中を荒し廻る怪盜、――世間で『千里の虎』と言ふのを、小石川金杉水道町の路地に追ひ込んだのです。
「合點だツ、親分、八五郎が關を据ゑりや、辨慶が夫婦連れで來ても通すこつちやねえ」
 ガラツ八の八五郎は、懷から手拭を出すと、キリキリと撚を掛けて居ります。
 まだ薄寒い二月の眞夜中、追ふ方から言へば、意地が惡く月も星も見えませんが、曇つて居るだけに、物の隈が濃くないのは、逃げる者に取つては案外樂でないかもわかりません。
「無駄を言はずに要心しろ、此處へ追ひ込めば袋の鼠だ。手前か俺が縮尻らなきア、逃げられる場所ぢやねえ」
 平次はさう言ひ乍ら、引返して逆に、右手の路地を入つて行きます。言はゞ蹄鐵形の長い路地を、一方の口にはガラツ八が頑張り、一方の口からは平次が入つて行つたのですから、左右の町家の何れかへ飛込むより外に道は無い筈です。
「あツ」
 路地へ入つた時、平次は思はず聲を出しました。向うから飛んで來た曲者の姿が、チラリと平次の眼に入つたと思ふと、蹄鐵形の路地の頂點あたりで、掻き消すやうに消えて無くなつたのです。
 平次は其儘駈け續けました。
「あツ、親分」
「なんだ、八か」
「曲者の姿が此邊で見えなくなりましたぜ」
「お前もさう思ふか」
「路地へ消えたか大地に潜つたか、兎に角引返さないことだけは確かで」
 關所に頑張らずに曲者の後を追つたのは八五郎の出過ぎですが、其代り、曲者の消えた場所を二人の眼で、左右から正確に見定めることの出來たのは怪我の功名でもありました。
「左側だ、――其邊に人間の潜るやうな穴は無いか」
「穴はねえが、木戸が一つありますよ」
「押して見ろ」
「開きませんよ」
「どれ」
 近づいた平次、粗末な三尺の木戸を押して見ましたが、中から棧がおりて居ると見えて、力づくでは開きさうもありません。
「乘越して見ませう」
 ガラツ八は木戸へ這ひ上ると、思ひの外身輕に越して、向う側からガチ/\やつて居ります。
「何うした、手間がとれるぢやないか」
「輪鍵が外れませんよ」
「逃げ道に輪鍵は念入りだね」
 漸く押し開けて入つた時は、目の及ぶ限り、曲者どころか野良犬の影も見えません。
「違やしませんか、親分」
「確かに此處に追ひ込んだのは、『千里の虎』だ。間違ひはねえ。針が落ちたほどの足音を聞き付けて、お前を犬つころ投げにして逃げた曲者ぢやないか。その上祥雲寺門前から此處まで、蜘蛛手の細い路地を拾つてあんな具合に飛んで來るのは、『千里の虎』で無きア梟だ」
 二人はそんな事を言ひ乍ら、薄明りの中に奧まで見通しのきく、袋路地へ入つて行きました。
 袋路地と言つたところで、一方は寺の高い塀、一方は押し潰したやうな三軒長屋が一と棟…

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