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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題057 死の矢文
057 しのやぶみ
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第八卷 地獄から來た男」 同光社磯部書房
1953(昭和28)年7月10日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1936(昭和11)年11月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2014-03-27 / 2014-09-16
長さの目安約 26 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 相模屋の若旦那新助は二十一、古い形容ですが、日本橋業平といはれる好い男の癖に、去年あたりからすつかり、大弓に凝つてしまつて、大久保の寮に泊り込みのまゝ、庭の[#挿絵]で一日暮すことの方が多くなりました。
 主人の喜兵衞はそればかり心配して、親類や知己に頼んで、縁談の雨を降らせましたが、新助はそれに耳を傾けようともしません。
 大久保の寮の留守番には、店中の道樂者茂七を置いて、出來ることなら、若旦那新助の趣味を、歌舞伎芝居なり、江戸小唄なりに振り向け、間がよくば、遊びの一つも覺えさせようとしましたが、それが大當て違ひで、道樂者の茂七までが、木乃伊取りが木乃伊になつて、大弓に凝り始めたといふ情報が、大久保にやつてある下男の權治の口から店の方へ傳へられました。
 相手とも師範ともなるのは、同じ大久保のツイ近所に住んでゐる浪人者佐々村佐次郎、これは二十六七、男が好く、器用で、字もよく書き、弓もよく引き、法螺もよく吹く、一向身は持てないが、その代り遊び友達には此上もなく調法な男でした。
 その日も晝頃から始まつて、申刻前にはかなり草臥れましたが、近頃油の乘つて來た新助は、なか/\止さうと言ふことを言ひません。
「熱心も宜いが、お茶を淹れるのを忘れては困るな、俺は咽でも濡らして來る」
 佐々村佐次郎は町人風なぞんざいな口を利いて、そゝくさと肌を入れると、苦笑を殘して立ち上がりました。
 十月といつても、半日陽に照りつけられると、全く樂ではありません。
 それから又暫らく――。
「若旦那、お茶でも淹れさせませうか。當る當らないと言つても、凡そ程合ひのあるもので、――今日はまるで的の方が逃げて居るやうですぜ」
 茂七はおどけた顏をしました。主人にこんな事を言ひ乍ら、少しも怒らせないやうな、滑らかな調子があります。
「無禮なことを言ふな、茂七、――お前が見て居るから當らないんだ。向うを向いて居るがいい。一本で金的を射止めるから」
「へエ」
「お前の顏を見ると、大概の的は逃げ出すよ。後向になつて御覽」
「矢を持つて驅けて行つて、的へ突つ立てるんぢやないでせうね、若旦那」
「馬鹿にしてはいけない。私は本當に怒るよ」
「へエ/\斯んな工合に?」
 茂七は神妙に後向になりました。
「顏も其方へ向けるんだよ。眼の隅から、チラチラ見たりしちやいけない」
「へエ――驚きましたネ、――的の方が飛んで來て、食ひ付きやしませんか」
「――」
 冗談を言ふ茂七には取り合はず、新助は本矢に近い頑固な鏃が入つた稽古矢を一本選ると、その根の方へ、袂から取出した矢文――小菊へ細々と認めて、一寸幅ほどに疊んだのをキリヽと結び付け、手馴れた弓につがへて、ひやうと射ました。
 矢は[#挿絵]の上を遙かに越えて、その後の疎らな木立を拔け、隣の庭――植木屋の松五郎の庭――へと飛んで行きます。それからほんの暫…

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