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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
作品ID54634
副題080 捕物仁義
080 とりものじんぎ
著者野村 胡堂
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第十卷 八五郎の恋」 同光社磯部書房
1953(昭和28)年8月10日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1938(昭和13)年9月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2014-05-11 / 2014-09-16
長さの目安約 33 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 江戸開府以來といはれた、捕物の名人錢形平次の手柄のうちには、こんな不思議な事件もあつたのです。――これは世に謂ふ捕物ではないかも知れませんが、危險を孕むことに於ては、冷たい詭計に終始した捕物などの比ではないと言へるでせう。

「親分ツ」
 飛込んで來たのは、ガラツ八の八五郎でした。
「何といふあわてやうだ。犬を蹴飛ばして、ドブ板を跳ね返して、格子を外して、――相變らず大變が跛足馬に乘つて、關所破りでもしたといふのかい」
 平次は朝の陽ざしを避けて、冷たい板敷をなつかしむやうに、縁側に腹ん這ひになつたまゝ、丹精甲斐のありさうもない植木棚を眺めて、煙草の煙を輪に吹いて居りました。
「落着いてちやいけねえ、いつもの大變とは大變が違ふんだ、ね、親分、聞いておくんなさい」
「大層な意氣込みだね、手前の顏を見てゐると、――一向大變榮えもしないが、一體どんなドンガラガンを持つて來やがつたんだ」
 平次はまだ庭から眼を移さうともしません。この姿態のまゝ、路地で犬を蹴飛ばしたことも、ドブ板をハネ返したことも、格子戸を外したことも氣が付いて居たのでせう。
「親分、繩張内から謀叛人が出たらどうします」
 八五郎は息を彈ませ乍ら、疊の上の汗を平手で撫で上げました。
「何だと?――今の世の中にそんな馬鹿なことがあるものか。尤も、由比の正雪なら牛込榎町よ、丸橋忠彌は本郷弓町だ、繩張違ひだよ、八」
 平次はまだこんな洒落を言つてゐるのです。
「そんな昔話ぢやねえ、謀叛人が生きてゐて、町内の錢湯で毎日錢形の親分と顏を合せるとしたら、どんなもんで」
「いやな事を言やがる、その謀叛人は一體何處の誰なんだ」
「金澤町の素讀の師匠皆川半之丞」
「何だと?」
 平次は起き直りました。
 一年ばかり前に引越して來た、浪人者皆川半之丞、美男で、人柄で、まだ三十そこ/\の若さを、何をするでもなく、世捨人のやうに暮してゐるのが、錢形平次の第六感に、何かの印象を留めずにはゐなかつたのです。
「ね、親分、さう聞くと思ひ當るでせう。子供は嫌ひだからと言つて、寺子は皆な斷わつてしまつた癖に、夜は大の男を四五人も集めて“子曰く”の素讀の稽古だ」
「――」
「それは不思議でないにしても、弟子は一人殘らず他所の者で、町内の若い者が束修を持つて頼みに行くと、家が狹いとか、隙が無いとか、何とか彼とか言つて追つ拂はれる」
「フーム」
「そのくせ、弟子共と一緒に夜更けまでゴトゴトやつてゐるさうですよ。謀叛人でなきや、贋金造り、そんなことぢやありませんか、親分」
 ガラ八の鼻は少しばかり蠢めきます。この鼻がまた錢形平次に取つては、千里眼順風耳で、この上もない調法な武器だつたのです。
「贋金造りにしちや、暮しが樂ぢやない樣子だ」
「だから、謀叛人、綺麗な顏はしてゐるが、飛んだ大伴の黒主ぢやありませんか」
「――」
「それに、…

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