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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題140 五つの命
140 いつつのいのち
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第十七卷 權八の罪」 同光社磯部書房
1953(昭和28)年10月10日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1943(昭和18)年1月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2016-02-08 / 2015-12-24
長さの目安約 22 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



「親分、變なことがあるんだが――」
 ガラツ八の八五郎がキナ臭い顏を持ち込んだのは、まだ屠蘇機嫌のぬけ切らぬ、正月六日のことでした。
「何が變なんだ、松の内から借金取でも飛込んだといふのかえ」
 錢形の平次は珍らしく威勢よく迎へました。ろくな御用始めもないので、粉煙草ばかりせゝつて、心待ちに八五郎の來るのを待つてゐたのです。
「借金取や唐土の鳥には驚かねえが、――こいつは全く變ですぜ、親分」
「だから何が變だと言つてるぢやないか」
「一町内の子供が五人、煙のやうに消えて無くなつたのは、變ぢやありませんか、親分」
 ガラツ八の小鼻は、天文を案ずるやうに脹れます。
「子供が五人揃つて消えた?――そいつは拔け詣りだらう」
 平次は事もなげです。その頃子供達が誘ひ合せて、親の許しを得ずに、伊勢詣りの旅に出ることがよく流行りました。伊勢詣りとわかれば箱根の關所もやかましいことは言はず、先々の宿も舟も、何彼と便宜を與へてくれる世の中だつたのです。
「七つから九つまでの子供ですぜ、その中には女の子が二人居ますよ」
「成程そいつは少し變だな」
「その上、夕方かごめ/\か何んかやつて遊んでゐて、不意に見えなくなつた。菅笠も柄杓も仕度をする間がありませんよ」
 どんな無鐵砲な拔け詣りも、それ位の用意はあるべき筈です。
「神隱しかな」
 平次は何時の間にやら、坐り直して居りました。
「そんなものはあるでせうか、親分」
 人間が不意に見えなくなつて、何日か何年かの後、ヒヨツクリ現はれるのを、昔は羽黒や秋葉の天狗のせゐにして、これを神隱しと言つたのです。その中には誘拐や、迷子や、記憶の喪失や、借金逃れもあつたでせうが、昔の人はそんな詮索をする氣もないほど鷹揚だつたのでせう。
「――」
「神や佛が、そんな虐たらしい事をする道理は無いぢやありませんか、ね親分。五人の子供の親達の歎きは、見ちや居られませんよ」
「――」
「何んとかしてやつて下さいよ」
「何處だえ、それは? 何時のことなんだ」
 平次は漸く乘出しました。
「本郷の菊坂で」
「フーム」
「三日前、よく晴れた夕方でしたよ。胸突坂の下で遊んでゐた町内の子供が五人、何度へ潜り込んだか、暫らくの間に掻き消すやうに見えなくなつたんですつて――」
「遊んでゐたのを、誰が見て居たんだ」
「空地で遊んでゐたのを、多勢の人が見て居ましたよ。尤も一番後で五人の子供が空地の隅つこ一とかたまりになつて話してゐるのを見たのは、鑄掛屋の權次といふ、評判のよくない男で」
「それがどうしたんだ」
「鍋鑄掛が一とわたり濟んで、空地に擴げた店を片付けてゐると、五人の子供達が、何にか脅えたやうに、ひとかたまりになつて喋つて居たさうです。權次はそれつ切り中富坂の家へ歸つたから、後は何んにも知らないと言ふんで」
「誘拐しかな」
「五人の子供を一ぺんに誘拐す工夫は…

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