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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題159 お此お糸
159 おこのおいと
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第十七卷 權八の罪」 同光社磯部書房
1953(昭和28)年10月10日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2016-03-18 / 2016-01-12
長さの目安約 27 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



「さあ大變だ、親分」
 ガラツ八の八五郎は、髷先で春風を掻きわけるやうにすつ飛んで來ました。よく晴れた二月のある朝、何處からともなく聞える小鳥の囀りや、ほんのりと漂ふ梅の花の匂ひをなつかしむともなく、江戸開府以來と言はれた捕物の名人錢形の平次は、縁側に立つて斯うぼんやり眺めてゐたのです。
「相變らず騷々しい奴ぢやないか、何が一體大變なんだ」
「大變も大變、今日のは別誂の大變だ、驚いちやいけませんよ、親分」
「誰が驚くものか、お前の大變は食ひつけてゐるよ。犬が喧嘩しても大變、金澤町のお此坊に男が出來ても大變――」
「そのお此坊の男が殺されたとしたらどんなもので、親分」
「何んだと、あの池月の與三郎が殺されたといふのか」
「ね、驚くでせう親分。あの打ち殺しても死にさうも無い、ノラリクラリとした鰻野郎の與三郎が、腦天を石で割られてお茶の水の崖下に投り出されてゐるんだ」
「行つて見よう」
 錢形平次は氣輕に尻を上げました。お茶の水といへば直ぐ眼と鼻の間で、錢形平次の繩張内でもあつたのです。
 八五郎に案内されて、聖堂裏から其頃は茶店などのあつたお茶の水の崖の上へ行つて見ると、其邊はもう一パイの彌次馬、町役人や元町の文七と言ふ中年者の御用聞などが、聲を涸らしてそれを追つ拂つて居ります。
「え、寄るな/\、見世物ぢやねえ、まご/\すると掛り合ひだぞ」
 露拂ひのガラツ八が持前の鹽辛い地聲でワメキ立てながら、人波をかきわけて中へ潜ると、
「お、錢形の兄哥、丁度宜い鹽梅だ」
 元町の文七はホツとした顏になりました。自分より十歳も若い平次と張合つて、手柄爭ひに血を沸かせたのも昔で、今では平次の頭腦と腕と、それよりも功名にも利害にもこだはらない恬淡な人柄に推服して、何時の間にやら若い兄貴に立ててゐる文七だつたのです。
「元町の兄哥、遲れて濟まなかつた――お、これや大變だ」
 崖の下から引揚げたばかりで、まだ菰もかけない與三郎の死骸が、折からの麗かな春の朝陽に照らされて、見るも無慘な姿を横たへて居るではありませんか。
「斯うなつちや先陣爭ひの池月野郎もカラだらしがねえ」
 ついガラツ八の八五郎は、日頃の反感がこみ上げたものか、遠慮の無いことを言つて、ペツペツと唾を吐くのでした。
 小博奕と押借の外には能の無い男ですが、恰好がちよいと意氣なのと、顏がノツペリして居るのを資本に、神田から本郷へかけて、浮氣な娘といふ娘を漁り廻り、宇治川の先陣爭ひに譬へて、池月の與三郎と自分から名乘つたほどの厄介な男ですから、八五郎のやうな女とは縁の遠い正直者から嫌はれ蔑まれたのも無理のないことです。
「馬鹿野郎、何んといふ口のきゝやうだ」
 平次は屹とたしなめ乍ら、自分は死骸の側にしやがんで片手拜みに眼をつぶりました。
 與三郎の死骸といふのは、全く眼も當てられない有樣で、身だしなみの良いのを自…

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