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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
作品ID54659
副題155 仏像の膝
155 ぶつぞうのひざ
著者野村 胡堂
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第十八卷 彦徳の面」 同光社磯部書房
1953(昭和28)年10月20日
初出「文藝讀物」文藝春秋社、1944(昭和19)年3月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2016-05-05 / 2017-03-04
長さの目安約 21 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「親分、怖い話があるんだが――」
 ガラツ八の八五郎が、息を切らして飛込みました。櫻の莟もふくらんだ、ある麗かな春の日の晝少し前のこと――。
「脅かすなよ。いきなり、飛込んで來やがつて」
 錢形平次は鎌首をもたげました。相變らず日向に不景氣な植木鉢を竝べて、物の芽をなつかしんでゐたのです。
「鐵砲ですぜ、親分」
 八五郎は餘つ程急いで來たらしく、まだ筋を立てては物が言へません。
「鐵砲? 俺は、女房の方が餘つ程怖いよ」
 平次はさう言ひ乍ら女房のお靜の方を振り返りました。
「まア」
 陽炎が立つほど着物をひろげて、繕ひに餘念もないお靜は、ツイ陽に薫じた顏をポーツと染めます。
「冗談ぢやありませんよ、親分。通り三丁目に店を持つてゐる釜屋半兵衞が、北新堀の家で鐵砲でやられたんだ」
「成程、そいつはうるさい事になりさうだな。行つて見ようか、八」
 平次は漸く神輿を擧げました。
 その頃は幕府の取締りが嚴重を極めて、大名が道具を揃へるのでさへ、鐵砲となると一々面倒な屆出が必要とされ、一般人の江戸持込みなどは全くできない時代ですから、鐵砲の人殺しなどといふ事件は、錢形平次の長い經驗にも、曾てないほど珍らしいことだつたのです。
 二人が北新堀へ着いたのは晝少し過ぎ。靈岸島の瀧五郎といふ土地の御用聞が、子分と一緒に朝つから詰め切つて、御檢屍前に下手人の目星でもつけようと、一生懸命の活躍を續けてゐる眞つ最中でした。
「錢形の親分か、丁度いゝところだ」
 瀧五郎はさり氣なく迎へます。この素晴らしい競爭者には、どうせ太刀打が出來ないと思つたのでせう、眉宇の間に焦燥の稻妻は走りますが、でも、唇には愛想の良い微笑さへ浮びます。
「鐵砲でやられたさうぢやないか――滅多にないことだから、後學のため見て置き度い」
 平次はこの大先輩と手柄爭ひをする氣などは毛頭ありません。
 釜屋の家族や奉公人達は、すつかり怯えて遠くの方から眼を光らすだけ。その重つ苦しい空氣の中を、瀧五郎は、平次を案内しました。
「錢形の。この通りだ」
 湊橋寄りに建つた離屋の、豪華を極めた一室を、瀧五郎は縁側から指すのです。
 この室の異樣な飾りや、その調度の豪勢さには、平次もさすがに眼を見張るばかり、暫くは死骸のあるのも忘れて、四方を見廻しました。和蘭風と言ふか、平次には見當もつきませんが、疊の上に異樣な模樣を織り出した絨毯を敷いて、唐木の机、ギヤマンの鏡、金銀の珠玉に細工をした手廻りの小道具まで一介の町方御用聞の平次に取つては、生れて初めて見る品ばかりです。
「釜屋が拔け荷(密輸入)を扱ふといふ噂が滿更嘘ぢやなかつたんだね」
 そつと後ろから囁くガラツ八を目顏で制して、
「フム、これはひどい」
 平次は一歩死骸に近づきました。
 緞子の夜具を少し踏みはだけ、天鵞絨の枕を外して死んでゐるのは、五十前後の脂切つた…

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