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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題181 頬の疵
181 ほほのきず
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第十九卷 神隱し」 同光社磯部書房
1953(昭和28)年11月5日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1948(昭和23)年4月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2016-07-06 / 2016-06-10
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



「わツ、親分」
 まだ明けきらぬ路地を、鐵砲玉のやうに飛んで來たガラツ八の八五郎。錢形平次の家の格子戸へ、身體ごと拳骨を叩き付けて、お臍のあたりが破けでもしたやうな、變な聲を出してわめき散らすのです。
「何といふ聲を出すんだ、朝つぱらから。御近所の衆は番毎膽を冷やすぜ」
 平次は口小言をいひ乍らも、事態重大と見たか、寢卷の前を掻き合せて、春の朝靄の中へ、眠り足らぬ顏を出すのでした。
「大變なんだ、親分。早く、早く支度をして下さい。あつしはもう腹が立つて、腹が立つて」
「腹が立つて飛び込んで來たのか。こんなに早く叩き起されて、お前の腹の始末までしなきやならないのかえ――俺は斯う見えても滅法寢起きが惡いんだぜ」
 平次はさう言ひ乍らも、八五郎の取亂した姿を眺めてニヤリニヤリ笑つて居るのです。
「親分の寢起きなんかに構つちや居られませんよ。何しろ神田から下谷一圓の御用聞が狩出されて、錢形の親分には内密で、夜つぴて網を張つたんだ」
「何んの網だ、鰯網か鰤網か」
「左傷の五右衞門が、今晩あたりは、何處かへ出るに違ひねえといふ見込で、下つ引交りに三十八人と出ましたよ。いつも錢形の親分にばかり手柄を持つて行かれるから、今度こそはこちとらだけで、左傷の五右衞門を擧げようといふ目論見だ。捕頭は秋葉の小平親分」
「お前も一枚入つたのか」
「あつしもたまには仲間の義理でね」
「仲間の義理で俺を出し拔いたといふのか。まア宜いや、そんな事はどうでも構はねえが、首尾よく左傷の五右衞門を捕つたのか」
「宜い鹽梅に捕り損ねましたよ」
「宜い鹽梅といふ奴があるか、間拔けだなア」
「兎に角、左傷の五右衞門の野郎が、鍛冶町の質屋上總屋勘兵衞の店に押し込み、有金三百兩を出させた上、主人の勘兵衞に傷を負はせて逃げ出したところを突き留め、三十八人の人數が八方から取詰めて、動きの取れない雪隱詰にしたことは確かなんで」
「フーム、それは大變なことだな」
 平次は唸りました。自分だけこの捕物陣から除け者にされたのは、まことに苦笑ものですが、左傷の五右衞門を、雪隱詰にしたといふのは、大した手柄でなければなりません。
 左傷の五右衞門――それはまことに恐るべき兇賊でした。暮から活動を始めて、この三月末までには、神田から下谷、淺草、本郷へかけて、十五六軒も荒したことでせう。門も戸も締りも錠前も左傷の五右衞門の前には、何の役にも立たず、隙間漏る風の如くに入つて來て、少なきは三十兩五十兩、多いのは五百兩八百兩と奪ひ取り、少しでも手向ひする者は、生命には別條ないまでも、手足か顏かに、手ひどい傷を負はされたのです。
 兇賊はたつた一人ですが、仕事振りの落着き拂つた態度から押して、外に一人や二人の仲間が頑張り、見張りを兼ねて何にかの時の助勢に備へて居ることは確かでした。狙ふものは金錢ばかり、七珍八寶山とつんであつても…

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