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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題168 詭計の豆
168 きけいのまめ
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第十九卷 神隱し」 同光社磯部書房
1953(昭和28)年11月5日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1947(昭和22)年5月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2016-06-04 / 2016-05-15
長さの目安約 22 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



「親分、四谷忍町の小松屋といふのを御存じですか」
「聞いたことがあるやうだな――山の手では分限のうちに數へられてゐる地主か何んかだらう」
 錢形平次が狹い庭に下りて、道樂の植木の世話を燒いて居ると、低い木戸の上に顎をのつけるやうに、ガラツ八の八五郎が聲を掛けるのでした。
「その小松屋の若旦那の重三郎さんを案内して來ましたよ。親分にお目にかゝつて、お願ひ申上げたいことがあるんですつて」
 さう言へばガラツ八の後ろに、大町人の若旦那と言つた若い男が、ひどく脅えた樣子で、ヒヨイヒヨイとお辭儀をして居るのです。
「お客なら大玄關から――と言ひ度いが、相變らずお靜が日向を追つかけて歩くから、あそこは張板で塞がつて居るだらう。此方へ通すが宜い」
「へツ、そこは端近、いざま――ずつと來たね。若旦那、遠慮することはない。ズイと通つて下さいよ」
 八五郎の剽輕な調子に誘はれるやうに、身扮の凝つた、色の淺黒い、キリリとした若いのが、少し卑屈な態度で、恐る/\入つて來ました。精々二十歳そこ/\でせうか、まだ世馴れない樣子のうちに、妙に野趣を帶びた、荒々しさのある人柄です。
「あつしは平次だが――小松屋の若旦那が、どんな用事で、こんなところへ來なすつたんだ」
 縁側へ席を設けさして、平次は煙草入を拔きます。調子は間違ひもなく客を迎へ乍ら眼はまだ庭に並べてある、情けない植木鉢に吸ひ付いて、その若い芽や、ふくらんで行く蕾を享樂して居るのでした。
「思案に餘つて參りました――私の身に大變なことが起つたのでございます」
「大變なことにもいろ/\あるが」
 平次の瞳は漸くこの若い客に戻りました。持物も、身扮も、申分なく大商人の若旦那ですが、物言ひや表情や身のこなしに、一脈の野趣と言はうか、洗練を經ない粗雜さの殘るのはどうしたことでせう。
「――私は、殺されかけてゐるので御座います。親分さん」
「それは容易ぢやないな、詳しく話して見るが宜い――が、その前に、お前さんの身の上を聽いて置き度いな。お前さんは小松屋の若旦那で、素直に育つて來た人ぢやあるまい。昨今田舍から出て來たのか、それとも――」
 錢形平次の首はむづかしく傾きます。
「恐れ入りました。親分さん、私の身上には、人樣が聞いても本當にはしないだらうと思ふやうな大變なことがございます」
「その大變なことから話して貰はうぢやないか」
「――」
 若旦那は、少しばかりモジモジして居ります。それは容易ならぬ重大事らしく、言つたものか、言はずに濟ましたものか、ひどく迷つてゐる樣子です。
「言つて惡いことなら別に聽かうとは思はないが――」
「いえ、良いも惡いもございません。皆んな申上げてしまひます。親分さん」
「それが上分別といふものだらう」
「何を隱しませう、私は――」
「――」
「この私は、ツイ二年前までは、兩國の橋の下を宿にして、使ひ走…

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