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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題111 火遁の術
111 かとんのじゅつ
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第二十卷 狐の嫁入」 同光社磯部書房
1953(昭和28)年11月15日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1940(昭和15)年7月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2016-08-12 / 2016-06-10
長さの目安約 31 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



「親分、良い陽氣ぢやありませんか。植木の世話も結構だが、たまには出かけて見ちやどうです」
 ガラツ八の八五郎は、懷ろ手を襟から拔いて、蟲齒が痛い――て恰好に頬を押へ乍ら、裏木戸を膝で開けてノツソリと入つて來ました。
「朝湯の歸りかえ、八」
 平次は盆栽の世話を燒き乍ら、氣のない顏を擧げます。
「へツ、御鑑定通り。手拭が濡れてゐるんだから、こいつは錢形の親分でなくたつて、朝湯と判りますよ」
「馬鹿だなア、手拭は俺から見えないよ、腰へブラ下げてゐるんだらう、――番太や權助ぢやあるめえし、良い若けえ者が、手拭を腰へブラ下げて歩くのだけは止しなよ。見つともねえ」
「こいつは濡れてゐるから肩に掛けられませんよ、――いつか手に持つて歩くと、不動樣の繩ぢやあるめえ、そんな不粹な恰好は止すが宜い――つて、親分に小言を言はれたでせう」
「よく覺えてゐやがる」
「躾の良い兒は違つたもので――」
「手拭をよく絞らないからだよ、海鼠のやうにして歩くから扱ひにくいんだ。第一その鬢がグシヨ濡れぢやないか、水入りの助六が迷子になつたやうで、意氣過ぎて付合ひきれないぜ」
「あ、これですかえ。成程朝湯の證據が揃つてやがる」
 ガラツ八は腰から海鼠のやうな手拭を拔いて、鬢のあたりをゴシゴシとやりました。
「自棄に擦ると、小鬢が禿げ上がつて、劍術使ひのやうになるぜ」
「鬢のほつれは、枕のとがよ――と來た」
「馬鹿だなア」
 平次は腰を伸ばして、暫くはこの樂天的な子分の顏を享樂して居りました。
「ところで親分」
「何んだい」
「不動樣で思ひ出したが、今日は道灌山に東海坊が火伏せの行をする日ですよ。大變な評判だ、行つて見ませんか」
「御免蒙らうよ。どうせ山師坊主の興行に極つてゐるやうなものだ。行つて見るとまた飛んだ殺生をすることになるかも知れねエ」
 平次は御用聞のくせに、引込み思案で、弱氣で、十手捕繩にモノを言はせることが嫌で/\ならなかつたのです。
「火伏せの行だから、火難除けになりますよ」
「家は借家だよ。燒けたつて驚くほどの身上ぢやねえ」
「呆れたもんだ――家は借家でも、火の車には惱まされ續けでせう。こいつも火伏せの禁呪でどうかなりやしませんか」
 ガラツ八は自分の洒落に堪能して頤の下から出した手で、しきりに顏中を撫で廻して居ります。
「成程、そいつは耳寄りだ。火の車除けの有難いお護符が出るとは知らなかつたよ。ブラリブラリと行つて見ようか、八」
「有難てえ。今日の道灌山はうんと人出があるから、何んか面白いことがあるやうな氣がしてならねえ」
「火除けの行だから、キナ臭かつたんだらう」
「違げえねえ」
 道灌山へ平次と八五郎が向つたのは、悠々と晝飯を濟ましてから、火伏せの行が始まるといふ申刻時分には、二人は無駄を言ひ乍ら若葉の下の谷中道を歩いて居りました。



 東海坊といふのは、その…

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