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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題124 唖娘
124 おしむすめ
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第二十三卷 刑場の花嫁」 同光社
1954(昭和29)年4月5日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1941(昭和16)年8月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2016-09-15 / 2016-06-10
長さの目安約 25 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



「親分」
「何んだ、八。大層な意氣込みぢやないか、喧嘩でもして來たのか」
 錢形平次は氣のない顏を、八五郎の方に振り向けました。
「喧嘩ぢやありませんがね、癪にさはつて癪にさはつて――」
「癪なんてものは、紙入に入れてよ、内懷にしまひ込んで置くもんだ――お前見たいに鼻の先へブラ下げて歩くから、餘計なものにさはるぢやないか」
「へツ、まるで心學の講釋だ。親分も年を取つたぜ」
 八五郎は餘つ程蟲の居どころが惡かつたものか、珍しく親分の平次に突つかゝつて行きます。
「ハツ、ハツ、ハツ、八五郎にきめ付けられるやうぢや、全く年を取つたかも知れないよ。ところで何が一體癪にさはるんだ」
 平次は無造作に笑い飛ばして、縁側に後ろ手を突いたまゝ、空の碧さに見入るのでした。七夕も近く天氣が定まつて、毎日々々クラクラするやうなお天氣續きです。
「だつて、口惜しいぢやありませんか。三輪の萬七親分が、先刻昌平橋であつしの顏を見ると、いきなり、『おや八兄哥、此邊にブラブラして居るやうぢや相變らず錢形のところに居候かい。俺のところの清吉なんか、八兄哥より二つ三つ若い筈だが、此間から入谷に世帶を持つて、押しも押されもせぬ一本立の御用聞だぜ。――尤も其處まで行くのは容易のことぢやあるまいがね――』と斯うだ」
「――」
「あんまり腹が立つから、いつそ十手捕繩を返上して、番太の株でも買はうと思つたが――番太の株だつて唯ぢや買へねエ」
 こんなに腹を立ててゐる癖に、八五郎の調子には、吹出さずに居られない可笑味があります。
「ハツ、ハツ、ハツ、笑つちや氣の毒だが、腹を立てる度に番太の株を狙ふのは、江戸中の岡つ引にも、お前ばかりだよ。何處かに良い後家附きの株でもあるのかい。――それは兎も角、八五郎だつて立派な一本立の御用聞ぢやないか。今度三輪の親分に逢つたら、さう言つてやるが宜い。親分のところに泊つて居るのは、田舍から姪が來て、向柳原の叔母の家が急に狹くなつたからだ。手頃の貸家があるなら世話して下さいよ、家賃なんかに絲目は附けないから――と言つたやうな具合にな」
「それくらゐのことを言つたんぢや、腹の蟲が納まりませんよ」
「大層機嫌の惡い蟲だね。ぢや、三輪の兄哥がびつくりするやうな手柄を立ててよ、お神樂の清吉が目を廻すやうな女房を貰ふんだね」
「そんなのはありますか、親分」
「大ありさ、江戸は廣いやね。――綺麗な女房の方は俺の鑑定ぢや納まるまいが、大きな仕事なら丁度良いのがあるぜ」
「へエ」
「例へば、近頃三輪の親分が追ひ廻してゐる、痣の熊吉だ。下谷淺草から神田小石川へかけて二三十軒も荒し、人間も五六人斬られてゐるが、どうしても捉まらねエ」
 平次の言ふのは尤もでした。去年の暮あたりから風の如く去來する怪賊、金高にて二三千兩もかせいだことでせうが、文字通り神出鬼沒で、江戸中の岡つ引が、束になつて…

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