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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題101 お秀の父
101 おひでのちち
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第二十三卷 刑場の花嫁」 同光社
1954(昭和29)年4月5日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1939(昭和14)年9月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2016-07-15 / 2016-06-10
長さの目安約 26 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 ガラツ八の八五郎が、兩國の水茶屋朝野屋の樣子を、三日續けて見張つて居りました。
「近頃變なのがウロウロして、何を仕掛けられるか氣味が惡くて叶はないから御用のひまなとき、八五郎親分でも時々覗かして下さいな――」
 朝野屋の名物娘お秀が、人に反對や遠慮をさせたことのない、壓倒的な調子でかう平次に頼んで行つてからのことでした。
 そのころお秀は二十六の年増盛り、啖呵がきれて、小股が締つて、白粉が嫌ひで、茶碗酒が好きで、兩國きつての評判者。その親父の留助は、酒の好きなところだけが娘に似てゐるといつた、店番に生れ付いたやうな、平凡そのものの六十男でした。
 茶汲み女は三人、小體な暮しですが、銅壺に往來の人間の顏が映らうといふ綺麗事に客を呼んで横網に貸家が三軒と、洒落た住宅まで建てる勢ひだつたのです。
 九月のよく晴れた日の夕景。
「あツ、お前さん、錢箱なんか覗いて、何をするんだい」
 お秀は土間に飛び降りると、木綿物の袷に、赤い麻の葉の帶をしめた十七八の娘の袖を掴んでグイと引きました。
「何んにもしませんよ」
 極端に脅えて、おど/\する娘は、これも白粉つ氣のない、不思議に清純な感じのする――お秀とは違つた世界に住む種類の人間でした。
「何んにもしないことがあるものか、若い娘の癖に、錢箱なんか覗いたりして、この中にはからくりも品玉もありやしないよ、――あ、八五郎親分、丁度宜いところでした。この娘を縛つて行つていきなり二三束引つ叩いて見て下さいよ。泥を吐かなかつたら、お詫びをしますから、さ」
 お秀は娘の肩を掴んで、ガラツ八の方に押しやるのです。
「泥鰌見たいなことを言ふなよ、可哀想に娘は泣いてるぢやないか」
 八五郎はノツソリと店先へ入つて來て、張りきつたお秀の顏と、シクシク泣いてゐる、貧しさうな娘の顏を見比べて居ります。
「泣くのは術ですよ。冗談ぢやない、早く何んとかしなきや、人立ちがするぢやありませんか。――此間から變なことばかり續くと思つたら、矢張り物盜りだつたのねエ」
 お秀の片頬には、意地の惡さうな――その癖滅法魅力的な冷笑が浮ぶのでした。
「どうにも仕樣がないぢやないか、錢箱を覗いたつて、小判が蛙に化けるわけぢやあるめえ。人間氣の持ちやうぢや、錢箱も雪隱も覗くだらうぢやないか。それだけの事で人一人縛るわけには行かねえよ」
 八五郎はこんな事を言ひ乍ら、何んとかして娘を逃してやり度い心持になつてゐるのでした。お秀ののしかゝつて來る年増美の鬱陶しさに比べて、この娘はまた何んといふ素朴な存在でせう。
「本當に頼み甲斐のない人ねえ。そんな事ぢや用心棒の足しにもならないぢやありませんか、チエツ」
 お秀は大舌打を一つ、八五郎を掻きのけて、娘の胸倉を掴みさうな見幕です。
 その頃の下つ引などの中には、季時節の心付けを貰つて、水商賣の用心棒を兼ねてゐたのもあつた…

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