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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題106 懐ろ鏡
106 ふところかがみ
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第二十三卷 刑場の花嫁」 同光社
1954(昭和29)年4月5日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1940(昭和15)年2月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2016-07-29 / 2016-06-21
長さの目安約 27 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



「親分、面白い話があるんだが――」
 八五郎のガラツ八が、長んがい顎を撫でながら入つて來たのは、正月の十二日。屠蘇機嫌から醒めて、商人も御用聞も、仕事に對する熱心を取り戻した頃でした。
「暫らく顏を見せなかつたぢやないか。どこを漁つて歩いてたんだ」
 錢形の平次は縁側から應へました。湯のやうな南陽にひたりながら、どこかの飼ひ鶯らしい囀りを聽いてゐたのです。
 凝つとしてゐると、梅の香が流れて、遠くの方から、時々ポン、ポンと忘れたやうな鼓の音が聽えて來るといつた晝下りの風情は、平次の神經をすつかり和めてゐたのでせう。
「親分、憚りながら、今日は申し分のない御用始めだ。野良犬が掃き溜めを漁るやう言つて貰ひたくねえ」
「大層なことを言ふぜ。どこでお屠蘇の殘りにありついたんだ」
 平次はまだ茶かし加減でした。かう紫に棚引く煙草の烟を眺めて、考へごとをするでもなく、春の光にひたりきつてゐる姿は、江戸開府以來の捕物の名人といふよりは、暮しの苦勞も知らずに、雜俳の一つも捻つてゐる、若隱居といふ穩やかな姿でした。
「親分、神樂坂の浪人者殺し、あの話をまだ聽かずにゐるんですか」
「聽いたよ、――が、二本差と鐵砲汁は親の遺言で用ゐないことにしてある」
「へツ、こいつはたまらねえ御用始めですぜ。親の遺言は暫く鐵砲汁の方だけにしちやどうです」
 ガラツ八は何時の間にやら、日向一パイに塞がつて、お先煙草を立て續けに燻してゐるのでした。
「ことと次第ぢやね、――話して見な、どんな筋なんだ」
 暮からあぶれてゐる平次は、まんざらでもない樣子です。全く松のうちから江戸中を驅けずり廻つて、親分のために素晴しい御用を嗅ぎ出さうとしてゐた、ガラツ八の心意氣を知らないわけではなかつたのでした。
「ね、親分。幽靈が人を殺すでせうか」
「何を下らねえ」
「生靈、死靈てえ話は聽いたが、足のねえ幽靈が、後ろから脇差で人を殺すなんてことがあるでせうか」
「馬鹿も休み/\言ふがいゝ。そんな物騷なエテ物が、箱根の此方にゐてたまるものか」
 平次は頭からけなしつけますが、その癖ガラツ八の話に、充分過ぎるほどの興味を動かした樣子でした。
「本當ですよ親分。川波勝彌つて年は若いが、恐ろしくヤツトウのうまいのが、神樂坂で芋のやうに刺されてゐるんですぜ。側には川波勝彌を怨んで死んだ娘の、懷ろ鏡が落ちて割れてゐるなんざ、そつくり怪談ものぢやありませんか」
「成程、そいつは面白さうだ。最初から筋を通して見な」
 平次は大分乘氣になりました。
「かうですよ、親分」
 ガラツ八は吐月峰をやけに引つ叩くと、煙管を引いて物語らんの構へになります。



 牛込肴町に町道場を開いてゐる、中條流の使ひ手紫田彈右衞門、一年前から輕い中風に罹つて、起居も不自由ですが、門弟達が感心に離散しなかつたので、この正月も、恒例の十一日に稽古始…

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