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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題123 矢取娘
123 やとりむすめ
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第二十四卷 吹矢の紅」 同光社
1954(昭和29)年4月5日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1941(昭和16)年7月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2016-09-12 / 2016-06-10
長さの目安約 27 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



「親分、折角こゝまで來たんだから、ちよいと門前町裏を覗いて見ませうか」
 錢形平次と子分の八五郎は、深川の八幡樣へお詣りした歸り、フト出來心で結改場(揚弓場)を覗いたのが、この難事件に足を踏込む發端でした。
「何んだ、こゝまで俺を引張つて來たのは、信心氣かと思つたら、そんな企みだつたのかい」
「でもね、親分、揚弓は惡くありませんよ。第一心持が落着いて、腹が減つて、武藝のたしなみにもならうてエわけのもので」
「馬鹿だなア」
「へエ」
「そんな能書を並べるより、矢取女に良いのがゐるとか何んとか言つた方が素直で可愛らしいぜ。第一その上落着いて大食ひをされた日にや、米が高くなつて諸人の迷惑だ」
「惡い口だなア、親分」
「ところで、その八五郎が武藝のたしなみを見せようといふ相手のところへ眞つ直ぐに案内しな」
 そんなことを言ひながら、二人は軒並の揚弓場を覗きながら、入船町の方へ歩きました。
「おや、變ですぜ、親分」
「人の出入りが多いやうだな、何にか間違ひがあつたんだらう」
「お千勢の家ですよ。隣のお秀と張り合つて、この土地では一番の人氣者だが――」
「大層詳しいんだな。それもたしなみの一つかい、八」
「へツ、先づ、そんなことで」
 お千勢の家といふのは、土地で一番繁昌してゐる矢場で、娘のお千勢の外に、矢取女が三人もゐる構へでしたが、近寄つて見ると表戸を締めたまゝ、緊張した顏の人間が遽しく出たり入つたりしてをります。
「おや、洲崎の兄哥」
 平次は早くも、土地の御用聞洲崎の金六を見付けました。
「お、錢形の」
 中年男金六の顏は少し酢つぱくなります。
「何にかあつたのかい」
「なアに、ちよいとした殺しさ。――錢形の兄哥はどうして嗅ぎ付けたんだ。――鼻が良過ぎるぜ」
 金六の調子には少し反感の響きがあります。
「兄哥の前だが、深川の殺しが神田まで匂ふやうな南風は吹かないよ。――八幡樣へお詣りして、ちよいと矢場を覗いただけのことさ。殺しがありや丁度幸ひだ、八の修業に兄哥の調べ振りでも見せてやつてくれ」
 平次はさり氣なく事件に飛び込みました。
「今度のは、鎌鼬や自害ぢやないぜ」
 嫌味を言ひながらも、金六は二人を現場に迎へ入れる外はなかつたのです。
 その頃の結改場は、裕福な町人達の樂しみ場で、矢取女に美しく若いのこそ置きましたが、決して淫らな場所ではなく、平次が盛んに働いてゐる頃は、今日では想像されないほどの繁昌を見てゐたのでした。
 二尺八寸の極めて小さい弓――
 それを繼弓にして、金襴の袋などに入れた、贅澤な道具を持つた旦那衆が、美しく彩色を施した九寸の朴の木の矢で、七間半の距離から三寸の的を射て、その當りを競つて樂しんだのです。
 矢場が魔窟になつたのは、天保以後から明治にかけてのこと、貞享、元祿、享保――の頃は、なか/\品格の高い遊戯で、矢取女も後の矢場女…

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