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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題117 雪の夜
117 ゆきのよる
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第二十四卷 吹矢の紅」 同光社
1954(昭和29)年4月5日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1941(昭和16)年1月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2016-08-27 / 2016-07-01
長さの目安約 32 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 錢形平次が門口の雪をせつせと拂つてゐると、犬つころのやうに雪を蹴上げて飛んで來たのは、ガラツ八の八五郎でした。
「親分、お早やう」
「何んだ、八か。大層あわててゐるぢやないか」
「あわてるわけぢやないが、初雪が五寸も積つちや、ヂツとしてゐる氣になりませんよ。雪見と洒落やうぢやありませんか」
 さう言ふ八五郎は、頬冠りに薄寒さうな擬ひ唐棧の袷、尻を高々と端折つて、高い足駄を踏み鳴らしてをりました。雪はすつかり霽れて、一天の紺碧、少し高くなつた冬の朝陽が、眞つ白な屋根の波をキラキラと照らす風情は、寒さを氣にしなければ、全く飛出さずにはゐられない朝でした。
「大層風流なことを言ふが、小遣でもふんだんにあるのか」
「その方は相變らずなんで」
「心細い野郎だな。空ツ尻で顫へに行かうなんて、よくねえ量見だぞ」
「へツへツ」
「いやな笑ひやうだな、雪見に行かうてエ場所はどこだ」
「山谷ですよ」
「山谷?」
「山谷の東禪寺横で」
「向島とか、湯島とか、明神樣の境内なら解つてゐるが、墓と寺だらけな山谷へ雪を見に行く奴はあるめえ、――そんなことを言つて、又誘ひ出す氣なんだらう」
「圖星ツ、さすがに錢形の親分、エライ」
 八五郎はポンと横手を打つたりするのです。
「馬鹿野郎、人樣が見て笑つてるぢやないか。往來へ向いて手なんか叩いて」
「實はね親分、山谷の寮に不思議な殺しがあつたんで」
「あの邊のことなら、三輪の兄哥に任せて置くがいゝ」
「任せちや置けねえことがあるんですよ。殺されたのは吉原の佐野喜の主人彌八ですがね」
「あ、因業佐野喜の親爺か、この春の火事で、女を三人も燒き殺した樓だ。下手人が多過ぎて困るんだらう」
「多過ぎるなら文句はねエが、三輪の親分は、たつた一人選りに選つて田圃の勝太郎を擧げて行きましたよ」
「えツ」
 田圃の勝太郎は、まだ二十七八の若い男で、もとは八五郎の下つ引をしてゐたのを、手に職があるのに、岡つ引志願でもあるまいと、今から二年前、平次が仲間に奉加帳を廻して足を洗はせ、田圃の髮結床の株を買つて、妹のお粂と二人でさゝやかに世帶を持つてゐたのでした。
「妹のお粂が飛んで來て、今朝三輪の親分が踏込んで、兄さんを縛つて行つたが、兄が昨夜一と足も外へ出なかつたことは、一つ屋根の下に寢てゐたこの私がよく知つてゐる。夫婦約束までした嬉し野が燒け死んでから、兄さんはひどく佐野喜の主人夫婦を怨んではゐたが、そんなことで人なんか殺す兄さんでないことは、八五郎さんもよく知つてゐなさるでせう。錢形の親分さんにもお願ひしてどうぞ兄さんを助けて下さい――とかう言ふ頼みなんで」
「何んだ、そんなことなら早くさう言やいゝのに」
「それに三輪の親分だが、――殺しが知れてから半刻經たないうちに下手人を擧げたのは、自分ながら鮮やかな手際だつたよ。錢形が聽いたらさぞ口惜しがるだらう――…

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