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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題116 女の足跡
116 おんなのあしあと
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第二十四卷 吹矢の紅」 同光社
1954(昭和29)年4月5日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1940(昭和15)年12月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2016-08-24 / 2016-07-01
長さの目安約 30 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



「親分、近頃は胸のすくやうな捕物はありませんね」
 ガラツ八の八五郎は先刻から鼻を掘つたり欠伸をしたり、煙草を吸つたり全く自分の身體を持て餘した姿でした。
「捕物なんかない方がいゝよ。近頃俺は十手捕繩を返上して、手内職でも始めようかと思つてゐるんだ」
 平次は妙に懷疑的でした。江戸一番の捕物の名人と言はれてゐる癖に、時々『人を縛らなければならぬ渡世』に愛想の盡きるほど、弱氣で厭世的になる平次だつたのです。
「大層氣が弱いんですね。あつしはまた、親分の手から投錢が五六十も飛ぶやうな、胸のすく捕物がないと、かう世の中がつまらなくなるんで――」
「お前は娑婆つ氣があるからだよ。俺は御用聞といふ稼業が、時々嫌で/\たまらなくなるんだ」
「そんなことを言つたつて、御用聞がなかつた日にや、世の中は惡い奴がのさ張つて始末が惡くはなりやしませんか。醫者がなきや病氣が蔓こるやうに――」
「醫者と御用聞と一緒にする奴があるかい。醫者は病氣を癒せばいゝが、御用聞は惡い者ばかり縛るとは限らない」
 平次の懷疑は果てしもありません。
「江戸中に惡者がなくなつた時、十手捕繩を返上しようぢやありませんか。それまでは手一杯に働くんですね、親分」
「石川五右衞門の歌ぢやないが、盜人と惡者の種は盡きないよ、――尤も世の中に病人が一人もなくなつて、醫者の暮しが立たなくなりや別だが」
 平次は淋しく笑ふのです。
「それまでせつせと縛ることにしませうよ。そのうちに、錢形平次御宿と書いて門口へ貼れば、泥棒強請が避けて通る――てなことになりますぜ」
「鎭西八郎爲朝ぢやあるめえし」
 無駄な話は際限もありません。丁度その時でした。
「八五郎さん、叔母さんよ」
 平次の女房お靜が、濡れた手を拭き/\、お勝手から顏を出しました。
「へエー、叔母さんがこゝへ來るなんか、變な風の吹き廻しだね。意見でもしさうな顏ですか」
「そんなことわかりませんよ。――お連れがあるやうで」
 とお靜。
「それで安心した。まさか小言をいふのに、助太刀までつれて來る筈はない」
「古い借金取かも知れないぜ、八。思ひ出して御覽、叔母さんへ尻を持つて行きさうなのはなかつたかい」
 平次は少し面白くなつた樣子です。
「脅かしちやいけませんよ親分。古傷だらけで、さうでなくてさへビクビクものなんだから」
「ハツハツハツ、八にも叔母さんといふ苦手があるんだから面白い――此方へ通すがいゝ。お連れも一緒なら、お勝手からぢや氣の毒だ、ズツと大玄關へ廻つて貰ふんだ。八は敷臺へお出迎へさ、何? もうお勝手から入つた? それぢや勘辨して貰つて、――」
 平次はさすがにゐずまひを直して襟をかき合せました。生温かい小春日和、午後の陽は縁側に這つて、時々生き殘つた虻が外れ彈のやうに飛んで來る陽氣でした。
 ガラツ八の叔母の伴れて來た客といふのは、下谷車坂の呉服…

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