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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題201 凉み船
201 すずみぶね
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第二十六卷 お長屋碁會」 同光社
1954(昭和29)年6月1日
初出「オール讀物」文藝春秋新社、1949(昭和24)年8月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2017-03-18 / 2017-03-04
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 兩國橋を中心に、大川の水の上にくり擴げられた夏の夜の大歡樂の中を、龜澤町の家主里見屋吉兵衞の凉み船は、上手へ、上手へと漕いで行きました。
 船は大型の屋形で、乘つて居るのは主人吉兵衞、娘お清、養子の喜三郎、番頭周助、それにお長屋の衆が五六人野幇間の善吉に、藝者が二人、船頭が二人、總計十四人といふ多勢で、三味と太鼓の大狂躁曲に、四方の船を辟易させ乍ら、さながら通り魔のやうに白髯のあたりまで漕ぎ上つたのです。
 夜は暗く、雨模樣でさへありました。六月二十二日の月はまだ昇らず、意地惡く風さへ死んで、飮んで騷いで大汗になつて、この凉はまことに散々でしたが、アルコールがゆき渡ると、それさへも忘れて、恐るべき出鱈目騷ぎが次から次へと、天才的な飛躍で展開するのです。
 この狂躁曲の演出者は、野幇間の善吉で、藝者の粂吉とお吉がその助手。それに女小間物屋のおけさ、その娘のお六、指物職人の勘太、その妹分のお榮など、いづれも申分のない藝達者でした。
 これだけ藝達者が揃ふと、小唄や爪彈きや、ほろ醉ひや膝枕の情緒を樂しむ、しんねこ趣味の船は寧ろ邪魔つ氣で、白髯まで伸して、川幅一パイに騷ぐのもまた一つの馬鹿々々しい境地だつたのです。
「あゝくたびれた。まるで御馬前に討死の覺悟でやつてるやうなものだ、安い日當ぢや斯うは稼げねえよ」
 野幇間の善吉は、良い年をして居る癖に、お臍で煙草を吸はせて、お尻に彦徳の面を冠せて、逆立ちになつてかつぽれを踊つて、婆ア藝者のお粂と拳を打つて、ヘトヘトに疲れると、お燗番の周助にねだつて、湯呑で一杯呷つて斯んな憎い口をきくのです。
 妙に生温かいと思つたら、夕立の來る前觸れでもあつたのでせう。金龍山の堂の上あたりで、遠稻妻が一と打ち二た打ち、それを合圖のやうに、サツとオゾンの匂ひのする突風が吹いて來ると、屋根船の灯の半分を消して、軒に提げた提灯も幾つかは吹き落されてしまひました。
「あツ、怖い」
「もう歸りませうよ」
 若い女達の騷ぐのへ押ツ冠せるやうに、
「雨なんか來るものか、――まだ早いよ。お燗を直して改めて飮み直さう」
 養子の喜三郎、良い男で道樂者で、精力的で押が強くて、遊びに飽きることを知らないのが聲を掛けると、撥條を卷かれた竹田人形のやうに、一座の人數は再び勇氣を取り戻して、歡樂の殘滓の追求に立ち直るのでした。
「酒だ、酒だ」
 野幇間の善吉がそれに應じました。
「此處で用意した灘の生一本を開けよう、――善公なんかに呑ませちや勿體ないくらゐの酒だが、お仕着せに一本づつだぜ」
 喜三郎は最初の一本――赤い紐で徳利の口に目印をつけたのを、養父の吉兵衞にすゝめて、あとは一本づつ男の膳に配らせました。それが一巡りゆき渡ると、又も煽られたやうに、亂痴氣騷ぎが蘇生るのです。
 浪人者出石五郎左衞門は、下手な謠を始めました。名前は恐ろしく立派ですが、…

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