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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題216 邪恋の償ひ
216 じゃれんのつぐない
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第二十七卷 猿蟹合戰」 同光社
1954(昭和29)年6月10日
初出「オール讀物」文藝春秋新社、1950(昭和25)年4月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2017-05-01 / 2017-04-18
長さの目安約 29 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 早春のよく晴れた陽を浴びて、植木の世話をしてゐる平次の後ろから、
「親分、逢つてやつて下さいよ。枝からもぎ立ての桃のやうに、銀色のうぶ毛の生えた可愛らしい娘ですがね」
 八五郎は拇指で、蝮を拵へて、肩越しに木戸を指すのです。
「何んだ、その桃の實てえのは?」
「桃ぢやありませんよ。武家風のお孃さんですよ、――永代橋の欄干に凭れて、泣き出しさうな恰好をして居るぢやありませんか。蟲齒の禁呪なら、水の流れを見詰めて、ヂツとして居る筈はないし、こいつはてつきり、橋の上に人の疎らになつたところを見定めて、ドブンとやらかすに違げえねえと、肩に手を置いて、お孃さん、無分別をなすつちやいけませんよ――とやると、あつしの懷中の十手をチラリと見て、――叔父さんが殺されたに違ひないのを押し隱して、家名が大事かは知れないけど、馬術不鍛錬で過つて死んだことにして宜いのでせうか――つて」
「フーム、面白さうだな」
「それからあつしは、そんな馬鹿なことは武家方だつて通るわけはねえ。何んか腑に落ちない事があるなら、錢形親分のところへ行つて相談して見るが宜い。錢形の親分は江戸開府以來の捕物の名人で――」
「ヌケヌケとそんな事を言つたのか」
「さうでも言はなきや、十七八の武家のお孃さんが、あつしと一緒に明神下まで來てくれませんよ。尤もあつしも今朝は清淨で、八幡樣へ朝詣りに行つた歸りだから――」
「不斷はもろ/\の罪穢で滿々として居るんだらう。若い娘なんか二三丁先から匂ひを嗅いで寄りつかない」
「無駄は宜い加減にして、逢つて下さるでせうね。親分、そりや可愛いゝ娘ですよ」
「娘は可愛いだらうが、武家の紛糾といふ奴は、惡いおでき見たいに根が深くて、うつかり手を付けると、ひどい目に逢はされるぜ」
 平次は一應尻込みはしましたが、この時、八五郎の後ろに近づいて、遠くの方から拜むやうに見て居る娘の顏を見ると、ツイ、
「――まア、折角遠いところから歩いて來なすつたんだから、ちよいとお話だけ聽いて見るとしようか、御案内申すが宜い、八」
 斯う言ひ捨てて平次は井戸端へ手を洗ひに廻つて、女房のお靜に取次がせました。怯えきつて居る女客は、時々入口まで來て氣が變つて、プイと逃げ出すことがあるので、物柔かなお靜に迎へさせる方が無事なことを、平次は長い經驗から心得て居るのでした。
「一體どんな心配事があつたんです、お孃さん」
 平次は座に着いて八五郎の後ろに小さくなつて居る娘を見やりました。
 精々十七八、まだ子供らしさは拔けきれませんが、八五郎が言つたもぎ立ての桃は良い形容詞でした。化粧もろくにしないらしい處女の肌には若さが馥郁と匂つて銀色のうぶ毛の見えるのさへ何んとも言へない新鮮さです。
 眼鼻立は町娘のやうな素直さで、取立てて美しいといふほどではありませんが、いかにも純潔で可愛らしさが溢れます。身扮はさすが…

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