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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
作品ID54751
副題223 三つの菓子
223 みっつのかし
著者野村 胡堂
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第二十八卷 遠眼鏡の殿樣」 同光社
1954(昭和29)年6月25日
初出「オール讀物」文藝春秋新社、1950(昭和25)年11月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2017-05-23 / 2017-04-18
長さの目安約 28 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 谷中三崎町に、小大名の下屋敷ほどの構へで、界隈を睥睨してゐる有徳の町人丁子屋善兵衞。日本橋の目貫にあつた、數代傳はる唐物屋の店を賣つて、その金を高利に廻し、贅澤と風流と、女道樂に浮身をやつし、通と洒落と意氣事に、夜を以て日に繼ぐ結構な身分でした。
 その丁子屋善兵衞が、下總のさる小藩の御用金を引受け、財政の窮乏を救ふ一助ともなつたといふ理由で、江戸御留守居の相談役を仰せ付けられ、苗字帶刀を許されて、綿鍋善兵衞と名乘ることになり、そのお祝はまた、一家一族は言ふまでもなく、谷中三崎町一圓の潤ひになつたと言はれました。
 丁度九月九日重陽の節句の日、善兵衞は御禮言上のため龍の口の上屋敷に參上、留守宅では、殿樣から拜領の菊の御紋のお菓子折を開いて、内儀のお絹中心に、丁子屋の奉公人――手代から下女下男に至るまで、主人善兵衞の福徳を祝ふことになつたのです。
 奧の一と間、妾のお小夜の部屋に集まつたのは内儀のお絹と、養ひ娘のお冬の三人。病身の内儀お絹は、萬事控へ目な差圖役に廻つて、家の中の取締りから、仕事萬端は、才智にたけて、實行力のある妾のお小夜が引受け、養女のお冬は、お人形のやうに虔ましく、その饗應を受けさへすればよかつたのです。
「では頂きませうか」
 妾のお小夜は、萬事を取り仕きつて、六疊の部屋に、お茶の用意を整へました。青疊に煎茶の道具、廣々とした庭の籬に、紅紫白黄亂れ咲く菊を眺めて、いかにも心憎き處置振り、金と時間とに飽かした、豐かさが隅々までも行き屆きます。
 本妻のお絹は三十五、昔は美しくも健康でもあつたでせうが、この三年ばかりは持病の癪の發作がひどく、その上強度のヒステリーで、蒼白く痩せ細つた顏も、針金のやうな手足にも、最早何んの魅力もなく、家の中の實權は、若くて綺麗で才氣走つて、その上押しの強い妾のお小夜に移つて行くのをどうすることも出來なかつたのです。
 妾のお小夜は、曾て谷中のいろは茶屋に姿を見せたこともあり、その素姓は甚だ怪しいのですが、山下の小料理屋の女中をして居るうち、その拔群のきりやうを、丁子屋善兵衞に見出され、そのまゝ引つこ拔いて、三崎町の御殿――と土地の人は、憤怒と侮蔑とをなひ交ぜた心持で呼んで居りました、その豪勢な家に引取られ、内儀のお絹の思惑などはてんから無視して、第二妻の權位に据ゑられたのです。
 年は二十三と言ひました。脂の乘りきつた非凡の美色で、取廻しの色つぽさと、物言ひの艶めかしさは、まことに天稟と言つてよく、丁子屋善兵衞の鍾愛も思ひやられました。
 が、本妻のお絹は、丁子屋の家付きで、病身で意氣地がないやうでも、いざとなると主人の善兵衞にも頭の上がらないところがあり、我儘一杯に振る舞ひながら、お小夜にもこのヒステリーの大年増が、眼の上の瘤だつたことは言ふ迄もありません。
 養ひ娘のお冬は、十八になつたばかりの、ポチ…

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