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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題221 晒し場は招く
221 さらしばはまねく
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第二十八卷 遠眼鏡の殿樣」 同光社
1954(昭和29)年6月25日
初出「オール讀物」文藝春秋新社、1950(昭和25)年9月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2017-05-16 / 2017-03-11
長さの目安約 31 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「親分、日本橋の騷ぎを御存じですかえ」
「知らないよ。晒し物でもあつたのか、――相對死の片割れなんかを、ぼんやり眺めてゐるのは殺生だぜ」
 平次は氣のない顏をして、自分の膝つ小僧を抱いたまゝ、縁側から初秋の淺黄色の朝空を眺めて居ります。
 八月になつて、少し凉風が立ち初めると、人間共も本心を取戻したか、御用はびつくりするほど暇。その代り質草も粉煙草も、結構な智慧までが盡き果てて、かう毎日天文ばかり見てゐる平次だつたのです。
 お勝手では、カタコトと、お仕舞やら三度の食事の支度やら、女房のお靜の氣はひは絶える折もなく、平次の閑居は貧乏臭くはあるにしても、まことに充ち足りた、その日/\だつたとも言へるでせう。
 其處へ時折子分の八五郎が、旋風のやうに飛び込んで來るのです。持ち込んで來る『大變』は十の一つもモノになれば結構で、大概は粉煙草と澁い茶にありついて、飄々として歸つて行くのが例ですが、どうかするとまた、飛んだ大物を嗅ぎ出して來て、平次に一と汗かゝせることがないでもありません。
「晒し物には違げえねえが、それが大變なんで」
 八五郎はネタの出し惜みでもするやうに、長んがい顎を撫で廻します
 日本橋の晒し場には、心中の片割れから女犯の僧と言つたやうなものが、諸人への見せしめに晒され、晒される方はまた、それを死ぬより辛い耻としたればこそ、刑の目的も達したわけですが、今の僞惡者達なら、宣傳效果の逞ましさを狙つて、進んで晒され度いと言ふ者が出て來るかもわかりません。
 それは兎も角、八五郎の報告は奇つ怪を極めました。
 日本橋の東詰の晒し場、この間まで相對死の片割れの、不景氣なお店者を晒してゐた筵圍の中に、五十前後の立派な中老人が、死骸になつて晒されてゐるといふのです。
 お上のしたことでない證據は、日本橋の橋番所でも知らず、その上日本橋の晒し物は、近頃殆んど生きた人間に限られ、死骸の晒し物などは幾年もないことで、わけても死骸の傷は、脇腹を深々とゑぐられ、更に止めまで刺されてをり、尚ほ變つて居るのは、その死骸の側に、大鋸が一梃、血まで塗つて置いてあることだつたのです。
 鋸引の極刑は今頃――平次が盛んに活躍して居る頃――は絶えてないことですが、古老の昔語りには殘つて居り、主殺し親殺しなどといふ無道の極惡人に對しては、君臣制度や家族制度の保護のために、多分に封建的な政略の意味も含めて、これが實際に行はれて居たことは言ふまでもないことでした。
 最初は極刑を受くる者の全身を箱に入れ、或は半身を土中に埋めて、通行人をして、望む者があれば、備付の鋸でその首を引かせ、あらゆる苦痛を與へて、七日にして漸く息を引取つたなどといふ記録が殘つて居ります。
 最初は鋸も竹製であつたらしく、後にはそれが金の鋸になり、更に首を引く望み手も少なくなつたものか、單に處刑者の首に傷をつけて…

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