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祭のさまざま
まつりのさまざま
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆44 祭」 作品社
1986(昭和61)年6月25日
入力者門田裕志
校正者阿部哲也
公開 / 更新2013-01-31 / 2014-09-16
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 村に生れた者は、誰でも少年の頃の祭の嬉しさをよく覚えてゐる。たゞ正月や盆の日とはちがつて、故郷を出てしまふと他所の祭に出逢ふことが少なく、めつたに其話を人とする折がないだけである。都会にも神社の祭は有る。しかし実際は、さう多くの者がその祭を見ることが出来ない。それ故に人は皆大きな花やかな混雑する祭だけを、祭といふものだと思つてゐる。これが村と都会との大きな相違であつた。今度は皆さんは測らずも静かな村里に日を送つて、春から夏へかけての、大小さま/″\の祭を見て居ることになつた。是を本当によく知つて置くと、今まで町の人たちの知らなかつたものを、覚えたことになるのである。
 村の祭は、大きいものから小さなものまで、多い処では一年に何十度といふほどもある。さうしてこの色々の祭を見くらべて行くことによつて、覚えることが少し又今までとはちがつて来る。
 日本全国どこに行つても、すべて祭は同じものだつたといふことも、是から段々とわかつて来るのである。私は今からもう五十年あまり、六十年近くも前の自分の生れた村の祭を知つてゐるが、その後はちやうど祭の日に、還つて見ることが出来なかつた。それで此頃は何かゞよほど改まつて居り、よその土地では又ちがつた事が多からうと思つてゐた。ところが実際の話を聴いて見ると、今でもびつくりする程、自分の小さい頃とよく似た祭をしてゐる村が方々に有る。是がこの大御国の、有難いところであらうと私は思ふ。しかし斯ういふことは、人の話を聴いたばかりでは、まだ明かにさうだといふ気にはなれない。それで一通り自分の小さい頃の記憶を述べて、皆さんが是から見たり聴いたりすることと、どの位同じかちがふかを比べて見てもらはうと思ふ。近い処なら真似るといふこともあらうが、私の故郷はこゝから大分遠い、あまり世間に知られない田舎だつたのである。



 私の生れた部落では、祭をいとなむ神社が二つあつた。その一つは鎮守さんと謂つて隣の部落に在り、八つか九つの大字が合同して年にたゞ一度、秋の収穫の終りに近い頃一ばん大きな祭が一つだけこゝで行はれる。それから今一つの方は氏神さん、又は明神さんとも村の者は謂ひ、他のすべての祭はこの方に有るのであつた。社格からいふと鎮守さんは郷社、こちらは村社であつて境内も狭いが、私たちがたゞ御宮といひ神さんといふときは必ずこの方のことであつた。
 鎮守と氏神とが一つの御社である場合もよそには多い。たとへば隣の部落では大字の内にこの鎮守さんが有る故に、別に氏神さんは無くて、年内の祭は皆この郷社で行はれる。斯ういふ部落を中部地方などでは、宮本とも謂つてゐるやうである。或は又一村限りで、同じ御社を鎮守とも氏神とも謂つてゐるやうな大きな村も少なくはない。それから又氏神は一つの家、もしくは同じ氏を名のる家々の神として別にあり、部落が集まつて共に祭る神を…

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