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実験室の記憶
じっけんしつのきおく
作品ID54851
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「機械のある世界〈ちくま文学の森11〉」 筑摩書房
1988(昭和63)年11月29日
初出「図解科学」朝日新聞社、1942(昭和17)年11月
入力者橋本泰平
校正者noriko saito
公開 / 更新2015-03-22 / 2015-02-28
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 実験室の記憶というのは、追憶という意味ではなく、犬などの記憶というのと同じ意味で、実験室が記憶力をもっているという話なのである。
 実験室が記憶力をもつなどというと、いかにも突飛な話のようである。しかし、実際に実験室の生活をした人には、その意味がわかるはずである。
 一つの教室に属するいくつかの実験室には、指導者の風格などという高尚な話は別として、卑近な実験技術の知識がいつの間にか集積して来るものである。それはもちろん主としてその実験室に働く研究者の頭の中に蓄積して来るのであるが、教室員の頭脳の中ばかりでなく、実験室内の机とか細々した器械とかいうものにまで、いつの間にか浸みこんで来るような気がする。それは実験室に残る記憶といった方が、一番適切なものである。
 もう十数年前のことであるが、ロンドンのキングスカレッジの地下室で、私はこの実験室の記憶というものを、しみじみ感じたことがある。英国の大学の物理研究室などというと、どこも皆立派な器械や装置が完備した大実験室と思う人があるかもしれないが、実際は日本の大学の実験室よりもずっと貧弱なものが多いのである。
 キングスカレッジの地下室などは、その貧弱な例の方であった。その頃リチャードソンのところでは、長波長X線の研究が主としてなされていた。少し金のかかった装置というのは、五百ボルトの電池くらいのもので、あとは真空装置と電位計とがようやく実験の組数だけ揃っているという程度であった。
 この仕事は、結局10-6ミリくらいの真空の中に、装置の主な部分を封入して、その中でいろいろな実験をして、その現象を外へ引き出した電線によって、電気的に測定することに帰した。それでかなり複雑な形の容器を全体高真空にひくというのが主な仕事であった。
 今ならば、10-6ミリの真空はさほど驚くことでもないが、油拡散ポンプなどはもちろんまだ発明されておらず、ゲーデの三段の水銀拡散ポンプが、ようやく一般に用い出されていた時代だけに、この真空には随分骨を折らされたものであった。
 真空技術のことを書いた本には、いろいろ詳しい記述があり、それを読むと、10-6ミリくらいの高真空は、何でもないように思われるかもしれない。特に、真空管の製作の場合には、それよりも一桁も二桁も高い真空が得られているようである。しかし真空管のように、一度作って封じてしまう場合は話は比較的楽であるが、研究の場合は何遍でも装置を作りかえて、時々内部をひらいて中の器械をとりかえなければならないので『真空技術』に書いてある通りに一々やるわけには行かない。『真空技術』に書いてある真空の技術は、いわば、女学校でならう家計のとり方のようなもので、生きてどんどん生長しつつある家庭は、その知識だけでは切り盛り出来ない。
 電池と真空ポンプと測定装置との外には、ほとんど室の飾りになるような器械…

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