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黒板は何処から来たのか
こくばんはどこからきたのか
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「世界教養全集 別巻1 日本随筆・随想集」 平凡社
1962(昭和37)年11月20日
初出「別冊文芸春秋」1947(昭和22)年10月号
入力者sogo
校正者富田倫生
公開 / 更新2013-01-01 / 2014-09-16
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 アメリカ数学史を調べている途中、黒板の来歴という問題に触れたので、少しばかり書き付けて見よう。ただこれは主として数学の面のみからの考察に止まるので、中には大きな誤りを冒しているかも計り難い。各方面の識者の御示教をお待ちする次第である。
 わが国で黒板が盛んに使用されるようになったのは、何といっても明治初年に、アメリカ人による教育上の指導からである。明治五年(一八七二)九月師範学校(東京高等師範学校(1)の前身)が開かれたとき、大学南校(2)の教師であったスコット(M. M. Scott)を招いて、小学校に於ける実際の教授法を伝えて貰った。スコットは母国の師範学校出身者であり、東京の師範学校では、主として英語と算術を教えたが、教科用書や教具器械の類は米国からの到着を待って使用したという。更に翌年には、ラトガース・カレッヂの数学・天文学教授マーレー(David Murray)が聘されて文部省学監となり、日本における教育の全面的指導に当ることになった。
 さてマーレーが黒板の使用を奨励したことは、彼の報告書から伺うことが出来る(3)。
「各般ノ書籍ヲ飜譯編輯シ、各般ノ器械ヲ備具ス。即チ……懸圖・模範塗板ノ如キ既ニ之ヲ製造シテ、從来煩多キ方法ニ代ヘ、以テ廣ク之ヲ小學校ニ採用セリ。……師範學校ノ功用ハ既ニ東京ニ設立セルモノニ於テ、其實驗ヲ表セリ。……學科ヲシテ理解シ易カラシメンガ爲、懸圖及塗板ヲ用ヒ、……(傍点は小倉)」
(1)今の東京教育大学の前身 (2)今の東京大学の前身 (3)『ダビット・モルレー申報』(明治六年)。

 師範学校で、黒板がスコットによってどんな風に使用されたかは、『師範学校、小学校教授法』(明治六年八月刊)という、師範学校長諸葛信澄らの校閲にかかる書物によっても明かである。その中には、算術の授業に黒板を使用している絵があり、そこには「図の如く、教師、数字と算用数字を呼で石盤に記さしめ、一同記し終りたるとき、教師盤上に記し、これと照準せしめ、正しく出来たる者は各の手を上げしめ、誤りたる者は手を上げざるを法とす」と、書かれている。
 更に校長諸葛信澄自身の著にかかる『小学教師必携』(明治六年十二月刊)においては、読物・算術・習字・書取・問答などの教授法が述べられ、そこには黒板の使用法も詳しく説かれている。例えば第八級(一年級の前半)の習字については、
「五十音圖ヲ用ヰ、書法ヲ説キ明シテ塗板ヘ書シ、生徒各自ノ石盤ヘ書セシムベシ……。生徒石盤ニ書スルニ當リテ、或ハ細字ヲ書シ、或ハ石盤全面ノ大字ヲ書シ、或ハ亂雜ニ書スル等ノ不規則ヲ生ズル故ニ、教師塗板ヘ書スルトキ、縱横ニ直線ヲ引キ、其内ニ正シク書シ、生徒ヘモ亦此ノ如ク、石盤ヘ線ヲ引キテ書セシムベシ、塗板ヘ書スルトキ、傍ラニ、字畫ヲ缺キ、又ハ筆順等ノ違ヘタル、不正ノ文字ヲ書シテ、其不正ナルコトヲ説キ…

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