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紫式部
むらさきしきぶ
副題――忙しき目覚めに
――いそがしきめざめに
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「長谷川時雨作品集」 藤原書店
2009(平成21)年11月30日
初出「日本文学」1938(昭和13)年9月1日
入力者kompass
校正者Juki
公開 / 更新2013-08-09 / 2014-09-16
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 八月九日、今日も雨。
 紫式部をもととした随筆の催促が、昨日もあったことを思って、戸をあけてから、蚊帳のなかでそんなことを考える。
 水色の蚊帳ばかりではない、暁闇ばかりではない。連日の雨に暮れて、雨に明ける日の、空が暗いのだ。それが、簀戸を透して、よけいに、ものの隈が濃い。
 濡れた蝉の声、蛙も鳴いている。
 今年は萩の花がおそく、芒はしげっているのに、雁来紅は色あざやかだがばかに短く細くて、雁来紅本来のあの雄大な立派さがない。
 ふと、紫の一本が咲いているのが目につく。野菊ではない。友禅菊という、葉や、咲きかたや色の今めかしい品のない花だが、芒のかげに一叢になっているのは、邪魔にもならないのでそのままにしてあるが、初元結にはとてもおよばない。
 初元結といえば、ずっと前に、もう物故ってしまった朱絃舎浜子が、これが、初元結だといって、一束の菊の苗をもってきてくれた。可愛がって育てると、葉は紫苑のさきの方に似て稍強く、スッとして花は単弁で野菊に似て稍大きかった。
 その葉の色の青さ、その花の色の紫、それこそ春の山吹とともに、王朝時代の色をもった花だと見た。
 その、初元結は、浜子のうちのも、あたくしのうちのも震災でどうなったかわからなくなってしまった。
 浜子は源氏物語愛好者、娘時代から去年果てるまで、繰返し愛読していた。それも、ただ読流すのではなく、研究的に読んでいた。
 けれど、わたしは、いつも忙しく暮しているので、年更けてから、用のほかはゆっくり話あった日がすくないので、どんな風に、あの物語につき、紫女について考えているかを聞洩してしまった。
 初元結をもって来てくれた時分のこと、あたくしは彼女のことを、いかにも明石の上に似ているといったことを、書いたこともある。
 それは、朱絃舎浜子の爪音が、ちょっと、今の世に、類のない筝の妙音であること、それは、古から今にいたるまでも、数少ないものであろうと思っていたし、性格やその他、明石の上にたぐえる人だったので、白粉ぎらいな彼女のことを、この明石の上はお色が少々黒いといったらば、上も浜育ちでしたろうと彼女は笑った。
 明石の上も明石の浜育ち、自分も横浜の浜育ちという諧謔であったのだ。
 彼女は、あたくしが、まだ唐人髷に結っていた十幾歳かの、乏しいお小遣いで、親に内密で買った湖月抄の第二巻門石の巻の一綴りに、何やかや、竹柏園先生のお講義も書き入れてあるのを、自分の参考にもっていったまま、ずっと手許においてあったが、これも、震災で焼けてしまった。どうしたことかその一冊だけが、おさない手ずさびの記念のように、榛原の千代紙で上被いがしてあるのであった。白い地に柳やら桜やらの細かい細かい模様であったが――

 あたくしの昨今は、トウチカの中に暮しているように、自分というものがすこしもないので、夜中でも真昼でも、寸分のく…

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