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家を持つといふこと
いえをもつということ
作品ID54903
著者柳田 国男
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆83 家」 作品社
1989(平成元)年9月25日
入力者門田裕志
校正者阿部哲也
公開 / 更新2013-01-19 / 2014-09-16
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 自然と人生と、二つは向き/\に進み、又時としては抗立相剋せんとするものゝ如く思ふ人が、此頃多くなつたやうに感じられる。如何なる世が来ても草木は依然として美しく、うたゝ国破れて山河在りの句が口ずさまるゝのみならず、或はほゝゑんでこの世上の悩みを、視て居るのでは無いかと思ふやうな折も有る為に、人はたゞ何と無くそんな気になるのかも知らぬが、又一つには近頃やゝ久しい間、人生を自然の現象の片端と観ずる練修を、我々が怠つて居たといふことも気づかれるのである。
 如何なる生活が自然のまゝ、おのづからなる在り方といふべきかについては、をかしい程さま/″\な考へ様が今まではあつて、それを一つに決するのが煩はしさに、寧ろ我々はこの問題を避けようともして居た。しかし静かに見て来ると、自然そのものも亦成長して居る。時と内外の力のかねあひに由つて、変るべきものは変らずには居なかつた。強ひて其以前の状態に復らうとすることが、自然の道で無いことは是だけでもわかるのである。境涯経歴の全く異なるものゝ中に、手本の無いことも始めから知れて居る。何が我々のおのづからであつたかといふことは、やはり辛苦して是から捜し出すの外は無いやうである。
 日本人の予言力は、今度試みられて零点がついてしまつた。今でも人は望ましいことを望まうとするが、それが空夢でないことを信ずるには骨が折れる。しかしさう言つても居られないわけは、問題の幾つかには、今すぐにも解決を必要とし、其一歩は次の全体を導き、一旦風を為すと再びは又改めにくからうと思ふことがある。国の言葉を次の代の人々に、どう教へるかもその一つであり、新たなる愛国心の泉、前代生活の味はひ方はどういふ風にと、いふなども確かに又一つと思ふが、別にそれ以外にもつと痛切であつて、しかもどうにか成るだらうと、打棄てゝ置かれがちな問題がもう一つある。二十年も前から、民俗学が手を下して居て、今なほはつきりとした結論に達し得ない、婚姻制の基礎といふのがそれであるが、是くらゐ社会の諸種の事情が絡みあつて、一見無造作にめい/\できめ得られるやうに思はれ、殊に世の中の変り目に際して、大きな結果を残すものも少ないのである。制度と言ひながらも法令だけでは左右しにくゝ、新たに各人の自ら知るべき事実が多くて、まだそれを知らずに居るといふことは、どうしても解決を遅延させる傾きを生じやすい。今はまだ誰もやかましく説き立てぬのを幸ひに、少しでも多く参考となるべき資料を集めて置くのがよいと思ふが、それにはこちらと縁の遠い戦勝国の前例などよりは、寧ろ身に近い自然界の古い型から、考へてかゝる方が安らかであり、それも亦斯ういふ堪へ難い季節を、静かに活きて行く一つの道かと思ふ。

     ○

 私の今住む家の岡の辺から、遥かに望まるゝ甲州相州の山々には、此頃は終日休みも無く、高い声で鶯が到る処に啼い…

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